放浪記~函館・湯の川球場跡あたり

  • 仲本
    2017年09月23日 14:48 visibility1991

「とりあえず湯の川まで出たいのですが」、空港のバス停前にいた案内のおじさんに尋ねると、このバスで湯倉神社前まで行くといいよ、とのこと。バスで走ること約15分、教えてもらったバス停で降りる。確かに交差点の右側に神社の石段がある。ここの交差点から右に折れる広い道は緩い上り坂になっている。5分ほど上ると、最初の目的地に到着する。幸いにも案内板は道沿いのわかりやすいところにあった。

 

「函館湯の川球場跡地」、その下には日本語・英語で解説が書いてある。昭和9年に読売新聞社が招いた全米選抜チームと全日本選抜チームがここ函館湯の川球場で試合を行った、とある。全米選抜は「ベーブ・ルース様ご一行」、対する全日本選抜は主将に久慈次郎を据えた。早稲田大を卒業後、当地のクラブチーム・函館太洋倶楽部で活躍した人気選手だった。案内板には久慈とルースの顔写真が載っているが、残念ながら球場の写真はなかった。別の資料で背景にわずかにスタンドが映っている写真を見た。バックネット裏から一、三塁のベンチあたりまで10段少々のスタンドがあったようで、収容人数は8000人。

 

(現在、球場跡地は中学校になっている)

 

昭和9年の日米選抜の両チームは東京・神宮球場で2試合を行った後、上野発の夜行列車と海峡を渡るフェリーを乗り継いではるばる函館までやってきた。しかし11月初めの函館は朝からあいにくの雪交じりの雨だった。少しでも雨を防ごうと、試合を目当てにやってきた市民が畳1畳ほどもない布を持ち寄ってグラウンドに敷き詰めたという。そんなささやかな抵抗もむなしく、この日の試合は中止になる。

 

後の日程が詰まっており、ましてこの寒冷の地である。函館での試合はこのまま取りやめにしては、という意見も上がったが、交渉の結果、一日延期ということで収まった。初回に全米選抜が満塁ホームランをかっとばし、大差のゲームかと思われた。しかしその後はこのシリーズで主戦級の青柴投手がよく投げた(5-2で全米の勝ち)。午後1時に始まった試合は1時間25分で終了。選手たちは夕方5時半のフェリーに乗るというスケジュールに悠々間に合ったということだ。

 

さらにこの道をもう少し行くと、函館大有斗高校がある。高校野球マニアには「函館有斗」といったほうが通りがよいかもしれない。昭和60年、62年夏の甲子園では1回戦で沖縄水産と対戦。南北対決と話題になった。どちらの試合にも登板した函館有斗・盛田、沖縄水産・上原の両投手は高校3年生の秋にそろってドラフト指名を受け、プロ野球でも活躍することになる。春夏通算13回の甲子園出場を誇るが、最後に甲子園にやってきたのは1997年。函館勢としてもこれが最後になっている。

 

元来た道を戻って湯倉神社を過ぎ、さらに路面電車一駅分歩いた。湯の川というだけあってこのあたりには温泉が湧いていて、ホテルも点在している。

 

(今回は五稜郭の近くの宿をとったので、足湯だけ。)

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