全国大会90年〜試しに野球とラグビーと
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仲本
2011年01月08日 23:04 visibility141
高校野球はオフシーズンですが他の競技では日本一をかけた全国大会が大詰め。今日はしがらみあって外出できず、テレビを横目に見ながら過ごしました。
ラグビーでは桐蔭学園と東福岡が互いに譲らず、両校優勝となりました。この前花園で入手したプログラムをパラパラとめくってみると、いろいろ知らないことがあってなかなか興味深い。
野球やサッカーのような「高校ラグビー大会の歌」なるものはないらしく、代わりに「高体連の歌」が掲載されています。聞いたことありませんが。
ラボ友の『歴戦之雄』さんが既に触れていますが、
http://labola.jp/diary/9002015
過去の大会記録をみると初期のころは大学、旧制高校なども参加していました。歴代優勝校プレートには第二回・旧制三高とあります。ラグビーは体力・体格差の影響が大きいためさすがに異論が出たらしく、第三回から中学とその他上級学校で大会を分けました(第二回大会、初戦を勝った京都大学・慶応大学は二回戦でいずれも棄権。これは中学・高等学校チームとの対戦を潔しとしなかったためといわれる)。ちなみに夏の高校野球の前身は最初から中等学校野球大会でした。ひとえにチーム数の差だと思われます。
会場は当初豊中で開催。その後宝塚、そして完成間もない甲子園球場で行われたこともありました。完成当時は「甲子園大運動場」と呼ばれており、野球以外の競技にも使う算段でした。甲子園駅から球場へ続く道のわきに立つ碑が往時をしのばせます。ラグビー大会が行われたころは外野の芝はまだなかったそうです。
数年後、甲子園球場から南に少し行ったところに新たにグラウンドを造成(南甲子園運動場)し、戦争で中断になるまではラグビーの全国大会はそちらで行われていました。ひょっとすると高校ラグビーの聖地も花園ではなく、甲子園周辺の可能性もあったわけです。
戦争による中断は昭和19年から21年の3年間。野球では昭和17年夏が文部省主催のいわゆる「幻の甲子園」。ラグビーも昭和18年正月は同じく文部省主催になりましたが、こちらは現在の大会史にも公式記録として残されています。戦時中、野球は早めに受難の時期を迎えましたが、ラグビーはむしろ戦時の鍛錬にふさわしく奨励すべしという意見もあったようです。敵性スポーツとか言われなかったんでしょうかね。
大会史といえば全国大会は野球、ラグビーそしてサッカーといったところがいずれも同時期にスタートして今に至っているのも不思議といえば不思議です。まあサッカーとラグビーはもともと同じ大会だったりするのですが。このへんの背景はまた暇があれば調べてみたい気がします。
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