ファンタジスタ幻想曲� −ジネディーヌ・ジダン編−
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学
2008年01月13日 22:38 visibility1595
私が今まで見た中で最高に美しいゴール。
それは01−02シーズンのチャンピオンズリーグ決勝、レアルマドリッド対レバークーゼン戦でのこのゴールだ。
まるでロベカルの緩やかなセンタリングによって限界ギリギリまで引かれた弓矢が、ジダンというマッチョな射手によって、利き足とは逆の左足を器用に折り畳んで弾いて放たれたように見えた。
それはチャンピオンズリーグ決勝という大舞台に用意された「サッカーの神の光臨」という儀式じゃないか、と思えるほど美しいゴールだった。
そう、ジダンはサッカーの神の化身なのではないか。それくらい逞しく神々しかった。
アリゴ・サツキのゾーンプレス戦術が世界のサッカーの趨勢となると同時に、かつてのジーコやプラティニといった10番タイプのファンタジスタが、自由にパスを受け、前を向いて攻撃のアイディアを実行する時間とスペースがなくなったと言われる。ファンタジスタがボールを持つや否や数人の相手選手が取り囲み、身体をぶつけてボール奪取にかかるからだ。ロベルトバッジオを含めてファンタジスタが活躍する余地はもはやサッカーにはなくなったのだ、と言われた。
そんな時、現れたのがジネディーヌ・ジダンだった。
185cm80kgという大柄な体格。普通ならセンターバックでもやらされてるところだろうが、ジダンは違った。
とにかくボールタッチが柔らかい。悶絶するほどのトラップを見せたかと思うと、大柄な体躯を生かした懐の深さで相手を間合いに入らせず、奇想天外なボールタッチで相手を翻弄し、正確なシュートやパスを繰り出してしまう。その次元の違うプレースタイルから「宇宙人」とさえ言われいた。
ファンタジスタが生まれないと言われた時代に、その時代に適応した形で生まれたのがジネディーヌ・ジダンだった、と私は思っている。
曲:Robert miles �「Children」 �「Rain」 �「Fable」
ジネディーヌ・ジダンは、フランス・マルセイユ郊外のラ・カステラン地区という生活困窮者が住む団地に、アルジェリア移民の2
世として生まれた敬虔なイスラム教徒だ。華やかな生活を好まず、インタビューなどでは照れて少しハニカミながら話す態度が彼の謙虚な性格を現している。チャリティー活動なども積極的に参加していた、物静かな優しい男だ。本来ならば・・・。
ここからは勝手な私の想像だけど、移民の子として生まれ生活も決して豊かではなかったことから、学校で苛められたり、差別を受けたり、随分辛い目に遭って来たんだろうな、と思う。
そんなときジダン少年の心を救ってくれたものは、きっと楽しいサッカーをプレーする時間であり、何より両親や姉妹など温かい家族の優しさだったのだろうな、と。
ジダンの絶好調の活躍でフランスが98年自国開催のW杯を制した時、フランス国民は自国代表チームの
この10番を英雄と崇めた。黒人や移民を多くメンバーに揃えた代表チームが、人種的にも思想的にもバラバラだったフランスという国を一つに纏めた、とさえ評された。
一方で、06年のドイツW杯の決勝であのマテラッツィに対する頭突きで、退場になった時、フランス国内からも批判の声が上がり、優勝を逃した責任をジダンに追及する論調が数多く出た。
大衆なんて身勝手なもんだ。
テレビに出演しあのときの頭突きについてインタビューを受けたジダン。
「母と姉を傷つける酷い言葉を繰り返された。」
「後悔はしていない。後悔をすれば彼(マテラッツィ)の行為を認めることになってしまう。」
ジダンは結局、優勝を逃したし引退の花道も飾れなかったけど、人種差別の今なお残るフランスという国で、移民の子として生まれた彼にとって、あの頭突きによって、ワールドカップを獲るよりも大切なものを守ったのだと私は思っている。
そしてそれは、あのスーパーな宇宙人ジダンが、決して「神の化身」などではなく、人の子なんだと思えてなんだかほっとした瞬間でもあった。 ■
06ドイツワールドカップ決勝、退場になったジダン。ワールドカップの横を抜けて控え室に戻る姿が印象的だった。
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