ファンタジスタ幻想曲� −ジーコ編−

  • 2007年10月08日 22:51 visibility2458


「サッカーの本質は『自由』だ。これはこれまでもそしてこれからもずっと変わらない私の信念だ。」 


 

Jリーグ創設期。


その時すでに欧州リーグに興味を奪われていた私は、
日本に新たに始まるプロサッカーのリーグを、
世間の浮かれ様とは反対に、冷めた目で見ていた。


サッカーがマイナースポーツでしかない日本で
欧州に匹敵するサッカーが見られるわけがない、と。
誰がそんなもの金を払って見るものか、と。


そんな斜に構えた私の心をいっぺんに正面を
向かせてしまったのがジーコだった。

あの東北電力戦のヒールボレーは、まるで
サッカーにおける『自由』を象徴するかのようなプレーだった。


ジーコのいう『自由』とは、とりもなおさず
私の考える『ファンタジー』に等しい。

固定観念に捕らわれない『自由』な発想から生まれる奇想天外なプレー、
それこそまさに
サッカーにおける「ファンタジー」そのものだからだ。

サッカーの醍醐味の最たるもの、と言い切ってもいい。


それを、ジーコはサッカー後進国の国民に見せてくれた最初の一人だった。






曲:「情熱大陸」葉加瀬太郎 with 小松亮太



「ブラジルの強さは監督が誰であろうと自分で判断するという強さです。私はその気質を日本代表に取り入れたかったのです。自分の大まかなプランを選手たちに渡して「あとは自分たちでやりなさい」と。自分たちでやらなければなりません。私の顔色を伺わずにね。」

                                   
現役時代ジーコは「白いペレ」と呼ばれた。

ペレのつけた偉大なブラジル代表の「10番」を継承し、観客を魅了するファンタスティックなプレーを披露したからだ。でも結局、ペレが3度もブラジルを優勝させたのに対し、ジーコは一度たりともワールドカップで優勝に導くことはできなかった。 

ジーコとほぼ同じ時代に、アルゼンチンには同じ10番をつけた天才児マラドーナがいた。


世界で最も強烈なライバル関係にある両チームのキャプテンであり10番を背負った二人は比較されて当然だった。

でも、マラドーナは弱小だったナポリをスクデッドに導いたのに対し、ジーコはイタリアセリエAでウディネーゼを優勝させるほどの活躍を見せることは出来なかった。 

けっきょく結果の上では、ジーコはペレにもマラドーナにも勝てなかった。
 

だけど。
 

本物のプロサッカーとは何か、「ファンタジー」とは何か、を私たちに身をもって体現してくれたのは紛れもなくジーコだった。


それは自分の名誉ばかり気にしてついには監督をやらなかったペレにも、自分のことしか考えられないアダルトチルドレンマラドーナにも、決して出来ないことだった。 

それはドイツワールドカップが代表監督としての“失敗”だったとしても、私の中で彼のその功績は少しも色褪せていない。
なぜならあれは、日本代表監督としてもサッカーにおける『自由』という彼の信念に殉じた結果だったと思うから。

そして私はオシムジャパンが誕生して
組織サッカーがトレンドになった今日でも、
願望を込めて思う。

サッカーにおける最大の醍醐味は、オフェンスであろうとディフェンスであろうと、個人の「自由な」判断に基づくファンタジックなプレーにある。
だから、代表でもJリーグでもジーコのいう『自由』は忘れないで欲しい、と。









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