春は東京スポニチ大会から(第74回東京スポニチ大会)

おはようございます。

ブログを記載するサイクルが極端に減りました福嶋馨です。

 

年度末のこの忙しい時に3泊4日の台湾旅行がいや台湾出張が決定して落ち込んでおります。

高雄2泊、台中1泊で21日に戻ってきます。

 

顧客様が行くのに我々が誰同行しないというのも問題があるので行くことになりました。

少し落ち込んでおりテンションが上がりません。

 

さて春は「スギ花粉」からなく、「春は選抜から」とよく言われますが私はどちらかというと春は

「スポニチ大会から」が一番しっくりきます。

 

社会人野球の三大大会と言えば都市対抗野球、日本選手権大会、そしてあえてもう一つと言えば「東京スポニチ大会」が挙げられます。

 

今年の球春を告げる「第74回東京スポニチ大会」が3月11日から明治神宮球場をメイン会場とし16チーム

が参加して始まった。

 

予選会から決勝と行い昨日決勝が日本新薬vs東芝の間で行われた。

予算会を勝ち抜いたベスト4は日本新薬、東芝、三菱日立PS、SUBARUと4チームそのうち

準々決勝では第一試合は東芝VSSUBARUが5対0で東芝が岡野の力投で完封勝ち、第二試合は日本新薬が

三菱日立PSを8対6で打ち勝ち決勝へ進んだ。

決勝は準決勝からのダブルヘッダーでエース左腕榎田を決勝戦まで温存した日本新薬に分があった。

 

剛の東芝の投手宮川は152キロを出すいわば力投型の速球派、柔の日本新薬の榎田は130キロ台の速球

と変化球で打たせて取る軟投派と対照的な対決である。

東芝の宮川は5回まで1安打9K力投。ところが6回2死から内野安打と2つの四球から3つの暴投も絡み

一挙3失点。7回にもダメ押しの1点を入れて、榎田がきがつけば8回3安打無失点の98球で完封した。

榎田投手はご存知の通り西武ライオンズのあの榎田投手の実弟である。

 

東京スポニチ大会の過去の優勝チームは以下の通りである。

第1回(46年)→いすゞ自動車

第2回(47年)→金港クラブ

第3回(48年)→愛知産業

第4回(49年)→小口工作所

第5回(50年)→全藤倉

第6回(51年)→日本生命

第7回(52年)→八幡製鉄

第8回(53年)→大昭和製紙

第9回(54年)→全鐘紡

第10回(55年)→日本生命

第11回(56年)→鹿児島鉄道

第12回(57年)→鐘化カネカロン

第13回(58年)→日本鋼管

第14回(59年)→日本生命

第15回(60年)→日本鋼管

第16回(61年)→日本石油

第17回(62年)→日本石油

第18回(63年)→東芝

第19回(64年)→いすゞ自動車

第20回(65年)→日立製作所

第21回(66年)→日本石油

第22回(67年)→日鉱日立

第23回(68年)→日本生命

第24回(69年)→河合楽器

第25回(70年)→日本通運

第26回(71年)→日本生命

第27回(72年)→三協精機

第28回(73年)→熊谷組

第29回(74年)→東芝

第30回(75年)→熊谷組

第31回(76年)→電電東京

第32回(77年)→東芝

第33回(78年)→大昭和製紙

第34回(79年)→東芝

第35回(80年)→熊谷組

第36回(81年)→東芝

第37回(82年)→日本石油

第38回(83年)→東芝

第39回(84年)→プリンスホテル

第40回(85年)→日本鋼管

第41回(86年)→熊谷組

第42回(87年)→日本通運

第43回(88年)→日本石油

第44回(89年)→プリンスホテル

第45回(90年)→熊谷組

第46回(91年)→日本石油

第47回(92年)→NTT東海

第48回(93年)→日立製作所

第49回(94年)→日本石油

第50回(95年)→日本石油

第51回(96年)→東芝

第52回(97年)→日本生命

第53回(98年)→日本通運

第54回(99年)→東芝

第55回(00年)→日産自動車

第56回(01年)→JR東日本

第57回(02年)→日産自動車

第58回(03年)→東芝

第59回(04年)→東芝

第60回(05年)→JR東日本

第61回(06年)→日産自動車

第62回(07年)→JR九州

第63回(08年)→新日本石油ENEOS

第64回(09年)→新日本石油ENEOS

第65回(10年)→富士重工

第66回(11年)→JX-ENEOS  NTT西日本

第67回(12年)→JFE東日本

第68回(13年)→Honda

第69回(14年)→JFE東日本

第70回(15年)→富士重工

第71回(16年)→日本新薬

第72回(17年)→トヨタ自動車

第73回(18年)→Honda

第74回(19年)→日本新薬

 

となっている。確かJABAで主催する大会では一番伝統がある。

ただ懸念事項としては昔活躍した企業チームがどんどん消滅してしまうことである。

経済環境・企業環境の変化でしょうがないことであるが寂しい。

 

日産自動車などはあのカージナルスにそっくりのユニフォームがカッコよかった。

大昭和製紙とか熊谷組などは一時期は出ると優勝というような強豪チームであった。

プリンスホテルも石山さんとか野村さんが監督をやってて一時期は強豪であった。

古くは全鐘紡などは前人未到の都市対抗三連覇した古豪であった。

 

一人の社会人野球ファンとしてこれからもJABAの会員でありながら社会人野球を末永く応援してゆきたい

彼らの野球はプロ野球とな違って負ければ終わりの世界である。

なので野球の高度が技術とともに真剣勝負が見られるのある。

 

 

 

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