「山梨県立巨摩高校の栄光 甲子園初出場」

篠山です。

最近なぜが甲斐の国の高校に興味が行っております。

 

何故でしょうか?自宅の近くに甲斐の国の領主武田氏の発祥の地武田神社があるからでしょうか?

昔仕事でかかわりを山梨県と有ったからでしょうか?

 

さて今回は山梨県立巨摩高校です。

巨摩高校は山梨県南アルプス市小笠原1500-2に位置している男女共学の高校である。

最寄駅は身延線小井川駅である。

 

学校の近くには一級河川の釜無川が流れており西側には日本の屋根と言われる南アルプス連山が連なっている。

偏差値は46~54で山梨県内では17位で全国では2576位である。

 

大正12年中巨摩郡豊村の豊小学校を仮校舎に山梨県立第三高等女学校として創立。

昭和23年の学制改革で巨摩高校となり現在にいたっている。

25年男女共学に移行した。

 

野球部は昭和25年に創部。28年には鈴木治範監督が就任して強くなる。

30年秋にはエース石川幸男を擁し、準決勝の谷村工業戦ではノーヒット、ノーランを達成、決勝でも石和高校を3安打に抑えながら0対1で敗れた。

 

32年夏には山静大会に進むが初戦で掛川西に敗れた。

 

第57回選手権大会の50年夏に武田秀樹⇔芦沢秀樹(ヤクルト)のバッテリーにセンターの保坂正彦主将を擁して山梨大会では

2回戦 石和高校7対3

準々決勝 甲府商業5対1

準決勝 塩山商業2対1(延長10回)

 

北関東大会では

準決勝 前橋工業2対1

決勝では樹徳高校に8対4と13安打を放ち完勝して甲子園へ初出場した。

 

第57回の夏の選手権大会の甲子園では古豪三重高校と対戦して1対3で敗れた。

 

56年の夏の大会でも決勝で敗退。63年にも県大会準決勝まで進んだが惜しくも敗退している。

 

巨摩高校またいつの日か甲子園で見てみたい高校の一つである。

 

 

 

 

 

                                おわり

 

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