高松直志がいた夏
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篠山鳳明
2024年08月24日 09:16 visibility489
高松直志がいた夏。
第59回全国高校野球選手権大会の秋田大会は、
1977年(昭和52年)7月20日に開幕した。
メイン球場は秋田市の八橋野球場だった。
丁度その前哨戦の春季高校野球県北大会は、
5月大館市営球場で開催。
そこで、我々は2回戦で能代高校と対戦した。
大会前から「何か高松という凄い二年生投手が居るらしいぜ!」
と噂は聞いていた。
左脚を天に上げて力強く投げる。力任せに投げ込む。
球は確かに速いが、コントロールが無いようだ。
初めて見る高松直志に良くも悪くも
「なんだ、こいつ!」って感じだった。
我が校の一番の留目光彦が打席に入る。
2-3まで粘ったが、空振り三振。
監督が「どうだ!」
留目「速いっす!」
監督「まずは、ウエイトだなぁ」皆「ハイ!」
私に打席が回る「確かに速い、どうすればバットに当たるか?、そう、初動動作を早くする事」。
そう、投球動作に入る前にバットを引いておく。
当たった、しかしボテボテの三塁ゴロ、運良くボテボテ過ぎて内野安打に。
試合は7回コールドでもちろん完敗。
時が経ち
最後の夏の秋田大会も終わり、家でのんびり、高崎商🆚能代戦をみていた。
高松何個三振取れるんだろうか?、それがなんと蓋開いてみたら、高崎商打線につるべ打ちにあった。
上には上がいるなぁ?と言うことを痛感した。
その年、そう高松直志はやはり、やはり力任せに投げていたのである、だから制球力がなかったのだ。
翌年は投げ方をスリークォーターに変えて、コントロール重視に変えた。
そして、箕島戦で好投した。
兎にも角にも「東北の星飛雄馬」とか言われていたが、彼も彼なりにフォーム矯正とか色々苦労したんだなぁと思っている。
思わず47年前の夏の一コマを思い出してしまった。
(ベースボールマガジン社 忘れじのヒーロー、197年7月19日朝日新聞、昭和52年度春季県北野球大会プログラム)。
- 事務局に通報しました。
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