高松直志がいた夏

高松直志がいた夏。

 

第59回全国高校野球選手権大会の秋田大会は、

1977年(昭和52年)7月20日に開幕した。

 

メイン球場は秋田市の八橋野球場だった。

 

丁度その前哨戦の春季高校野球県北大会は、

5月大館市営球場で開催。

そこで、我々は2回戦で能代高校と対戦した。

 

大会前から「何か高松という凄い二年生投手が居るらしいぜ!」

と噂は聞いていた。

左脚を天に上げて力強く投げる。力任せに投げ込む。

球は確かに速いが、コントロールが無いようだ。

初めて見る高松直志に良くも悪くも

「なんだ、こいつ!」って感じだった。

 

我が校の一番の留目光彦が打席に入る。

2-3まで粘ったが、空振り三振。

 

監督が「どうだ!」

留目「速いっす!」

監督「まずは、ウエイトだなぁ」皆「ハイ!」

 

私に打席が回る「確かに速い、どうすればバットに当たるか?、そう、初動動作を早くする事」。

そう、投球動作に入る前にバットを引いておく。

 

当たった、しかしボテボテの三塁ゴロ、運良くボテボテ過ぎて内野安打に。

 

試合は7回コールドでもちろん完敗。

 

時が経ち

最後の夏の秋田大会も終わり、家でのんびり、高崎商🆚能代戦をみていた。

高松何個三振取れるんだろうか?、それがなんと蓋開いてみたら、高崎商打線につるべ打ちにあった。

上には上がいるなぁ?と言うことを痛感した。

 

その年、そう高松直志はやはり、やはり力任せに投げていたのである、だから制球力がなかったのだ。

 

翌年は投げ方をスリークォーターに変えて、コントロール重視に変えた。

そして、箕島戦で好投した。

 

兎にも角にも「東北の星飛雄馬」とか言われていたが、彼も彼なりにフォーム矯正とか色々苦労したんだなぁと思っている。

 

思わず47年前の夏の一コマを思い出してしまった。

 

(ベースボールマガジン社 忘れじのヒーロー、197年7月19日朝日新聞、昭和52年度春季県北野球大会プログラム)。

 

 

 

 

 

 

 

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