稀代の審判 西大立目 永氏

大学野球選手写真名鑑から懐かしい写真を見つけた。

 

高校球児から見れば、審判と言うのは絶対的な物である。

 

それが、甲子園で有れば尚更である

 

審判も十人十色、色んな方がいらっしゃる

今回はその1人を方を見てみたい。

 

西大立目 永(にしおおたちめ ひさし)氏

東京都武蔵野市出身

1936年7月10日生→2002年12月16日没

早稲田学院から早稲田大学商学部

 

現役時代は一塁手兼投手。高校野球審判を務めた際は、長名と珍しい読み方の為高校野球ファンで有れば誰でもご存知かと思う。

 

私のイメージ的には郷司裕さんの後の世代に活躍された。

有る方から聞いた話だか、選手等にも非常に厳しく、

「早く守備に着きなさい」とか?

「何回無駄な牽制をするな」とか?

 

有名な話はPL学園🆚東海大山形戦で大差が付き投手で登板した清原が初球カーブを投げたら「真ん中、真っ直ぐを放りなさい」とか?

 

銚子商業🆚宇部商業戦でも銚子商業の投手がサイズの合わない帽子で投げるものだから、一球毎に帽子を拾う動作に嫌気がさし

「帽子に顎紐を付けなさ」とか言ったとか?

 

兎角選手側には厳く接した様だ。

 

また西大立目さんは早稲田大学でソフトボールも教えていて、礼儀に非常に厳しく学生には容赦なく「不可」を付けていたとか?

 

しかしながら審判としての技量は優れており

東京六大学審判員、社会人野球協会全国大会審判委員等にも就任している。

 

甲子園の審判の実績は数多くあるが、決勝戦での球審としては

1983年の池田🆚横浜商業

1985年のPL🆚宇部商業の試合が有る。

 

甲子園では名物審判の一人に入るのでは?と思う。

 

☆大学野球選手写真名鑑から引用。

 

 

 

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