
1974年の51年前の早慶戦
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篠山鳳明
2025年11月03日 05:34 visibility32
今年も東京六大学の最後の戦い。
早慶戦は早稲田大学の連勝で幕を閉じた。
最後の試合で清宮福太郎(早稲田実業4年)がリーグ戦初安打を放った事が話題になっている。
しかし早慶戦も現在と昔では趣きが少しばかり異なるのではないかと思う。同じなのは4年生が大学での野球生活が最後の試合と言うだけである。
何故早慶戦だけが特別な扱いなのか?明治の島岡御大はその辺りが納得出来なく、早慶だけにはライバル心を剥き出しにしていた。
早慶戦の由来は長くなるので後日にするが
ここに1974年51年前の早慶戦の資料がある。
1974年秋季東京六大学野球リーグ戦の最後を飾る早慶戦は一勝一敗タイで三回戦に持ち込まれた。
慶應義塾エース竹花(軽米高校)が投げ早稲田のスラッガー前川(東葛高校)が打つ、中学校生だったが真剣に見ていた。
故郷の早稲田の阿部政文(大館鳳鳴)二回戦に先発して、2失点で6回を投げ勝投手になっている。
4年間故障続きだった未完の大器と言われた佐藤守(本荘高校)も一回戦で矢野(今治西高校)をリリーフして好投した。
試合は
一回戦 4-2で慶應義塾
二回戦 11-4で早稲田
三回戦は序盤両チーム3点を取ったが、その後は点が取れず延長戦へ。最後は主将の3番小橋(岡山東商業)が一死後、慶應義塾エース竹花投手の得意球のシュートを捉え左翼席芝生席への劇的なサヨナラ本塁打で決着が着いたのだ。
延長13回早稲田が4-3で慶應義塾を下し勝点を奪った。
竹花はガックリとマウンド上で膝をついた。
私は何故か勝った、早稲田大学よりも敗れた慶應義塾の竹花の熱投に拍手を心の中で送っていた。
1960年には今でも語り継がれる『伝説の早慶六連戦』が有った。
早慶戦は毎年何か起こりそうな、そんな予感がする。
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