私学の厚い壁を破った学校 (春日丘高校)

  • Mr.black
    2011年11月22日 12:37 visibility7174

過去に大阪の公立高校を数校レポートした際、「1959年(昭和34年)の夏に八尾高校が甲子園に出て以降、長い間私学7強時代が続いた」と書きました。

その長い間立ちふさがった私学の厚い壁を打ち破った学校がありました。

府立春日丘(かすがおか)高校です。


<注>1960年(昭和35年)の春のセンバツには公立の阿倍野高校が出ていますが、ここでは夏の大会を基準にします。

 


春日丘高校は大阪の北部、茨木(いばらき)市にある府立高。今年で何と創立100周年という長い歴史を持つ学校です。創立当初は高等女学校だったそうです。

校舎はJR京都線「茨木駅」の北西、ほんの徒歩2~3分くらいの場所にあります。


春日丘が私学の壁を破ったのは1982年(昭和57年)のこと。第64回大会でした。決勝で近大付属高校を倒して八尾高校以来23年ぶりに公立校が夏の大阪代表として甲子園に出場しました。

久しぶりの公立校なので大阪府民も「全国大会で通用するのか?」と心配しましたが初戦で長野代表・丸子実業(現:丸子修学館)を倒して1勝を挙げました。2回戦で神奈川代表・法政二高に敗れたものの健闘は称えられました。

 


春日丘が甲子園に出る予兆はその前年からありました。秋季大会で大阪3位になり、近畿大会に出場したのです。これで自信を持ったのが翌年の躍進につながったのは間違いないでしょう。

夏優勝の直前の春季大会では準優勝しています。

 


近大付属とは不思議な縁で、この10年後に再び決勝で当たりました。(第74回大阪大会。)

この時は近大付属がリベンジ。春日丘は準優勝に留まりました。

 


これは校章。「春」の文字を変形させた図形の中に「高」と入れてあります。

はっきり確認したわけではありませんが、ユニフォームのデザインは甲子園出場当時とほとんど変わっていない様子です。(胸マークは漢字縦書きで「春日丘」)

 


グランドの広さは標準的なもの。

大阪府の人材育成重点校「エル・ハイスクール」に指定されているという進学校「春日丘」。現在でも時々大阪大会で勝ち上がることがあります。

この学校がいつの日か再び甲子園に返り咲く、それは決して夢物語ではないと思います。

 

sell古豪

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