消えた球場(22) 神戸市民球場
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Mr.black
2012年09月11日 12:48 visibility10175
神戸市長田区、山陽電車「西代(にしだい)駅」から東に徒歩数分の場所に「西代蓮池公園」があります。
かつてこの場所には「神戸市民球場」がありました。
昭和3年(1928年)に昭和天皇ご即位記念事業の一環として建設されたそうです。
昔の航空写真とこの地図を照合してみると公園の左下がバックネット側、右上がセンター側だったようです。
(なお、写真の下側が北。上が南です。この地図は通常と逆向き。)
大正天皇や昭和天皇がご即位された時にはそれを記念して全国各地にスポーツ施設や文化施設が建設されるということがよくありました。なので大正初期・昭和初期の同じような頃に建設された野球場は各地に存在しています。(その後老朽化で消滅した野球場もありますが。)
これは野球場建設史の重要な1エピソードです。
話を神戸市民球場に戻すと、基本的にはアマ用の球場だったのですが、戦前はプロ野球一軍の公式戦も行われていたようです。戦後はファームの試合が中心に行われました。特に地元ということもあり、阪神の二軍が本拠地にしていた時期もあったようです。
しかし時代の流れの中でプロ野球の使用がなくなり、アマ専用球場となりました。
アマの使用としては高校野球・大学野球・社会人野球、そして草野球などでした。特に高校野球では兵庫大会の会場になっていたのでここで野球部の青春時代を過ごした方もいらっしゃることでしょう。
この球場の転機になったのは同じ神戸市内に「グリーンスタジアム神戸」が完成したことです。これによりアマ野球(硬式)もGS神戸にシフトしていきました。
そして・・・・・運命の時がやって来ました。
阪神大震災です。神戸市内でも特に長田区の被害は大きく、そこで市民球場のグランド内に仮設住宅が建設されたのです。これが神戸市民球場の野球場としての完全な終焉になりました。仮設住宅撤去後スタンドは解体され、この地は公園になったのです。
跡地は現在、一部がグランド、残りは遊具とランニングコースのある公園に変貌しました。
これはバックネット側からセンター方向を見た写真。この辺りの一部は土盛りされて小高くなっています。
マウンドはこの小高くなった場所近辺にあったのではないでしょうか?
これはおそらくレフト側だった辺り。
広い敷地の野球場は非常時には別な役割が与えられます。関東大震災の際に芝浦球場は支援物資の補給基地に供出されました。そして阪神大震災では前述のように神戸市民球場が仮設住宅地に。東日本大震災では東北の一部の野球場はガレキの一時置き場に供用されたそうです。
時々野球場は無駄な施設と思われることがあります。(特に野球に関心の無い人達からはそう思われます。)
しかし非常時には住民を救う為に役に立つ施設になることがあるのです。いざという時の緊急避難場所に指定されている野球場も数多くあります。ここに目を向けてほしいですね。
公園西側にある文化体育館。この周辺にはかつて陸上競技場などがあったそうです。
昭和3年の事業では野球場だけでなく陸上競技場・プール・テニスコートなども併設され、この周辺は一大スポーツ公園だったようです。
やがてそういったことは忘れられていくのでしょうね。
時の流れは多くのものを変貌させていきますし、人々の記憶から消してしまいます。
それらを可能な限り探して見分していきたいものです。
この不定期シリーズ、いつかまた。
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