幻に終わった玉江橋球場
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Mr.black
2014年01月21日 11:19 visibility2405
以前に取り上げたことがある玉江橋球場のエピソード。改めて添付しましたのでよろしければこちらもご一読ください。↓
http://labola.jp/diary/9541824
今回はその周辺をふらりと徘徊してきました。
↑ これが玉江橋。大阪市北区にあります。
土地勘の無い方の為に地図を添付。この地図は南北が逆転していて上が南です。
赤丸で囲んだ部分が玉江橋。
下(北側)がJR福島駅方面。上(南側)が中之島という中州です。
いわゆる「キタ」、大阪駅及び梅田駅周辺は地図の左下方面になります。
かつて大陽ロビンスのオーナー田村駒治郎氏が建設しようとした「玉江橋球場」。別添の日記のように最終的には南海の大阪球場との競争に敗れて実現しませんでした。
その建設予定地は私が調べた限りでは特定できずじまい。
しかしながら現地を徘徊すると「この周辺にスタジアムが出来ていたら大阪の野球史はかなり違ったものになっていたかもしれない」と思えます。
中之島側から見た玉江橋の北側。
左の建物は関西電力所有の病院。右は朝日放送とABCホールです。
上2枚は逆に橋の南側。(中之島側になります)
このように周辺には大きな建物が林立しており、「まとまった大きな敷地があちこちにあった」ことを示しています。
なお、写真の赤丸は「国立国際美術館」、緑は「市立科学館」です。中之島周辺は文化施設が複数ある地域なのです。ああ、美術館に行きたい。(この日は休み。涙)
現在は京阪電車が「淀屋橋駅」から延伸してこのように新路線の地下駅が存在します。
もし玉江橋球場建設が実現し、現存していればこの路線はずっと早くに作られていたかもしれません。
大陽ロビンス・南海ホークス、そして利害関係から阪神タイガース・阪急ブレーブスをも巻き込んだ攻防が起こった玉江橋球場VS大阪球場建設競争。
しかし現在はほぼ全てが消滅しました。
橋の下を流れる川はそんな人間の攻防どこ吹く風と今もゆったり流れています。
橋の古い絵。当初は堀江橋と呼ばれていたそうです。
これは橋の北側にある記念碑文。ここには勿論「玉江橋球場」に関する記述は一切ありません。全ては夢まぼろしで終わってしまったわけですね。
はたして球場はどこに作られる予定だったのでしょうか?
今となっては何もかもが五里霧中です。
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- 事務局に通報しました。
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