二つの学校が掴んだセンバツ (海南&大成)
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Mr.black
2014年01月25日 12:52 visibility1576
昨日センバツ選考会が行われ、21世紀枠で和歌山の海南高校が選ばれました。
かなり以前のことで年度はすっかり忘れてしまいましたが、一度夏の予選で決勝まで進み関西ローカル放送でかなり話題になっていた記憶があります。結果は残念ながら敗れて準優勝。その当時ですら既に「久しぶりの甲子園まであと一歩だったのに惜しかった」という報道でした。以来気にしていた学校がついに甲子園に帰って来るわけです。
ところで今回「おや?」と思ったのは「27年ぶりのセンバツ」という報道。
「それならば実際に見たはずだが・・・・記憶にない。おかしいな・・・?」と少々悩みました。私はニュース映像を除けば海南をまだ一度も見たことがなかったからです。
そこで調べてみると前回は「大成高校」としてのセンバツ出場だったことが判明。
大成高校は1982年(昭和57年)の第54回センバツと、その5年後の第59回センバツ、合わせて2回甲子園に出ています。
しかし少子化や交通アクセスの問題があって海南高校と統合。そして大成野球部の過去の歴史は海南が引き継ぎ、甲子園出場回数も海南側に合算されているわけです。(今回で2校分合わせて春17回目)
ただ、大成高校は完全になくなったというわけではなく、「海南高校大成校舎」として存続していました。現在の野球部員も一部は大成校舎の生徒のようです。
大成高校の歴史で最も有名なエピソードはセンバツ初出場時の第54回大会の2回戦。
1回戦に勝利した大成は2回戦で愛知の中京高校と対戦します。中京はその時点で「春夏の甲子園通算99勝」を積み重ねており、この2回戦に勝てば史上初めての「100勝達成校」だったのです。
注目を浴びた試合。大成は善戦したものの「0-1」で敗れました。これにより中京が100勝到達。大きなニュースになりました。当時の選手達には悔しい記憶でしょうが、その代わり大成は歴史に名を刻んだことにもなります。
私も「大成高校」の名前はその件でしっかり記憶しています。敗れた試合も後年には思わぬ人々の記憶になるわけですね。
一方、本家本元の海南高校が最後にセンバツに出たのはそれよりもずっと以前のこと。
1964年(昭和39年)の第36回大会まで遡ることになります。実に50年ぶりの出場になるわけです。ちなみに夏も1964年が最後の出場。
まだ2年ちょっと前の平成23年秋、和歌山大会で準優勝し近畿大会に進んだ海南。その時は惜しくも初戦で敗れてセンバツは夢と消えました。
「あとちょっとだ。この次は頑張って出てきてほしい」と願っていましたがいよいよ甲子園に帰ってくることになった海南。それは同時に大成にとっても久しぶりの甲子園です。
2校の歴史を背負って戦うセンバツ。健闘を祈っています。
ところで調べたら海南はあの小野田寛郎さんの母校でした。(旧制海南中学卒)
先日訃報が流されました。もう少し生きておられたらどのような思いを抱かれたことか。
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- 事務局に通報しました。
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