京滋リーグの歴史概略

  • Mr.black
    2015年09月17日 12:48 visibility1016

 

今回初めて購入した京滋リーグの名鑑。ここには1部2部の選手名・試合日程と共にリーグの歴史や過去の優勝校紹介などがありました。

京滋リーグは関西の中でも特に情報が少ないのでこれを見て初めて知ることも色々ありました。今回は歴史の概略を。

 

戦前から京都には大学野球の連盟がありましたが、名鑑によると現在の京滋リーグの起源は戦後の1950年(昭和25年)となっていました。

この年、龍谷・大谷・京都薬大・工芸繊維大・学芸大(現:京都教育大)・西京大(現:京都府大)の6校で「京都六大学」が結成され、秋からリーグ戦が始まりました。これが京滋リーグの創設とされています。

 

後年、滋賀大が加盟したことによりリーグ名が「京滋大学野球連盟」と改称。

その前後から加盟大学が増えていきます。

京都大・立命館・京都外大・京都産大・佛教・京都学園・滋賀県農業短大・京都府立医大などです。(農業短大と府立医大はのち脱退)

 

更に後年、花園・成安造形・滋賀県大・京都創成大(現:成美大)・びわスポ大が加盟。最も新しいのはびわスポ大で2004年加盟とのことです。(成安造形はのち脱退)

 

 

意外なのは京大と立命ですね。

これには理由があり、1962年から「関西大学野球連合」という組織ができます。これは関西六大学(旧連盟)や近畿リーグなどと一緒に形成されたもので、関六をトップリーグにして他のリーグをその下部に配置。下部の代表決定戦を勝ち上がった学校と関西六大学の最下位校との間で入れ替え戦をするという方式でした。

 

この入れ替え戦で敗れた京大や立命が降格して京滋リーグに在籍していた時期があったということなのです。

連合は1962年(昭和37年)から1981年(昭和56年)まで続きました。この間、龍谷や京都産大が関西六大学(旧連盟)へ昇格したことがあります。その一方で立命が何度か降格昇格を繰り返しています。これが「入れ替え戦廃止、関西六大学再編、関西学生連盟新設」などに繋がっていくわけです。

 

結局連合は解散され、1982年(昭和57年)に各リーグが再編。

関西学生・関西六大学(新連盟)・近畿リーグ・阪神リーグ・京滋リーグはそれぞれ上下関係の無い並列状態になりました。

上下関係が無くなった影響でやがて京滋リーグのレベルは上がっていきます。

枠が少なく、かつてはなかなか出場できなかった秋の明治神宮大会へもここ11年間で6回も出ています。

露出度が低い為、ややマイナーなイメージがある京滋リーグですが、昔に比べるとレベルは格段に上がっていると思います。機会があればまた観戦したいものです。

 

最後に年代ごとの優勝校を。以下、年号は昭和・平成を使用。

 

昭和25年~36年 (京都六大学~京滋リーグへの変遷時代)

龍谷・京都学園・京都薬大・大谷

(※)京都薬大が強かった時代があったのですね。今は2部の下位に低迷していますが。

 

昭和37年~昭和56年 (関西連合時代)

京大・立命・京都産大・龍谷

(※)この時期の優勝校は全て他リーグへ移籍しています。その後再編された関西学生と関六(新連盟)は入れ替え無しの固定制。色々な思惑が垣間見えます。

 

昭和57年~現代

佛教・京都学園・京都教育・大谷

(※)京大・立命・京産・龍谷などが居なくなったことにより、ここからは佛教・京都学園の2強時代が続きます。この2校以外が優勝したのは平成11年の大谷が最後です。

そして京都教育大は現在2部に落ちています。連盟創立時のメンバーである大谷大と教育大には特に頑張って欲しいものです。

 

 

<現時点での編成>

1部 6校

京都学園・佛教・びわスポ・大谷・成美・花園

 

2部 7校

京都教育大・滋賀大・滋賀県大・工芸繊維大・京都府大・京都外大・京都薬大

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