あれから40年・・・・・

  • Mr.black
    2016年07月14日 11:38 visibility1456

明大球場を後にして向かった先は府中市民球場。

両球場の距離は近いのですが、こちらでは「西・東京大会」になっています。

(明大球場は「東・東京大会」。)



ただし横断幕は東西ともに「東京大会」とだけ書かれています。同じ球場でもその時々によって「東・東京大会」の会場になったり「西・東京大会」の会場になったりと変化するのかもしれませんね。



恒例の入場料チェック。東京大会は800円に値上げされています。おそらくは全国一高いのではないでしょうか?(大阪は最後に行った時は700円だったのですが、現状は不明です。)



移動と昼食の間にこちらの第二試合は中盤過ぎまできていました。

府中球場での第二試合は「桐朋(とうほう)学園ー桜美林戦」。



1塁側: 桐朋学園。

校名くらいは知っていましたが、それ以外は全く予備知識の無い学校です。なので野球部の力の具合もあいにく分かりません。

薄いアイボリーユニに黒基調(濃紺基調かも?)。左胸に漢字縦書きで「桐朋」。



3塁側: 桜美林。

かつて全国制覇を成し遂げた学校なので高校野球ファンならばご存じでしょう。しかしここのところは甲子園とご無沙汰しています。


(※)最後に甲子園に出たのは夏は第84回大会(2002年)、春は第73回大会(2001年)。


薄いアイボリーユニに濃紺基調。胸マークはエンジで「Obirin」。

胸マークの字体とストッキングのエンジ・イエローが印象的なデザインですね。



到着時点では4-3で桐朋がリード。

桜美林にかつての強さは無いとは知っていたものの、この展開は他地域の人間には驚きでした。




この後、更に桐朋の集中打を浴びて次々失点していく桜美林。

8-3とリードを広げられてしまいます。



意気上がる桐朋ベンチ。途中からの観戦でしたが、桐朋側に勢いがあるのは明白。

桜美林は終始押されっ放しでした。



そのまま試合終了。8-3で桐朋の勝利。



「あれから40年・・・・・」。


私の学生時代、桜美林は夏の甲子園であれよあれよという間に勝ち上がり、決勝まで進出。決勝戦の相手はPL学園でした。

当時、桜美林の下馬評はそれほど高くなく、片やPLは準決勝で大会No.1投手の「怪物サッシー」こと酒井圭一投手(長崎海星→ヤクルト)を攻略して決勝進出。

私の予想は当然ながら「PL優位」。と言うかほとんどの人は「PL優勝」の予想だったと思います。しかしそれを覆して桜美林が全国制覇。驚いたというよりは感動した記憶があります。



その40年後。

PL学園野球部(硬式)は休部が決まり最後の夏を迎えています。

一方の桜美林は西・東京大会の2回戦で早くも敗退。その瞬間を大阪人の私がスタンドで見つめるとは不思議な気持ちでした。


私学はスポーツの強化が出来る反面、ひとたび状況が変わればあっという間に衰退するケースも多いです。栄枯盛衰は世の習いとは言うものの複雑な気分でした。

「あやのこうじきみまろさんが『あれから40年・・・・・』というネタをやっているが、確かに40年という長い年月は多くのものを変えていくな・・・・。あの時純真な学生だった自分がもう擦れたオッサンなんだからな(苦笑)」、と痛感します。



オベリンナー(桜美林の生徒の呼称)がいつか再び甲子園にやって来る日が訪れるのでしょうか?

そしてPL学園最後の夏の初戦はもうすぐそこに来ています。そちらの結末もどうなるのでしょう。

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