消えた球場(37)大幸球場
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Mr.black
2017年03月26日 07:24 visibility4066
今回の遠征で「トヨタスポーツセンター」に行く前に立ち寄った場所があります。
それは名古屋市東区の地下鉄「砂田橋駅」周辺。
この駅を出て南側に少し歩くと公団の団地群が見えてきます。
かつてこの場所は「大幸(だいこう)球場」という硬式野球場だったそうです。
愛知大学野球連盟の歴史を読むと「下部リーグ(2部・3部)のリーグ戦が大幸球場で行われてきたが、同球場の閉鎖により、以降は加盟大学のグランドを使用するようになった」旨書かれていました。
大幸球場が存在していたのは1950年(昭和25年)から1981年(昭和56年)の間だったと言われています。
内野クレー・外野天然芝のオーソドックスな野球場。以前に航空写真で見たことがありますが、スタンドがどんな様子だったかまでは覚えていません。
そしてグランドの広さや収容数などは探してもどこにも見当たりませんでした。
何しろ地方大学リーグの下部でのみ利用されていたレベルの球場ですからね。
大阪で言えば久宝寺球場や寝屋川公園球場レベルだったのでないか?と推測しています。(他県の方々にはわかりにくい例えになるでしょうが。汗)
<追記>
その後、航空写真を再度観ることが出来ました。
なにぶん球場が小さく写っている物なので判明しない部分も多いのですが、グランドは左右非対称のやや歪な形状でした。
両翼が狭く(左右で距離が違っている可能性あり)、ライト側は敷地の関係で直線的。
センターは逆に深くなっていました。あくまでも見た感じの推測ですが、両翼90m前後、センター120m前後でしょうか?
スタンドはコンクリート製らしき物がバックネット裏~ベンチ手前迄あり。それ以外の内野は芝生席あるいはスタンドではなく平坦な立ち見スペースかもしれません。
外野も芝生席なのか平坦な立ち見スペースかは不明でした。
(航空写真なので立体感が分からずですが、見た印象では内外野ともに平坦な感じでした。)
これが周辺図。赤で囲んだところがかつて球場があった場所。現在は団地群です。
地図にある浄水場の入り口。
以前見た航空写真ではこの浄水場の斜め向かいに大幸球場が建っていました。
浄水場側から見た球場跡地。
以前は地下鉄がここまで来ておらず、このバス停が公共交通機関で最寄だったそうです。
(地下鉄がこちら方面まで延伸されたのはかなり後のようです。平成12年頃?)
他県民なので間違っているかもしれませんが、もしかしたら昭和40年代頃までこの周辺は名古屋市の外れでイマイチ利便性がよくなかったのでは?と推測しています。
それが昭和50年代になって段々この辺りまで住宅地が広がって来て、「アマの野球場にしておくのはもったいない。団地を建設すべき」となったのでは?とも思っています。
球場の写真もほとんど無く、スペックも不明な幻に近い大幸球場。
はたしてどんな野球場だったのでしょうか?
訪問時たまたま出会ったおばあさんに「ここ、昔は野球場だったんですよね?」と尋ねたら「ええ、大幸球場というのがありましたよ。今は団地になっちゃったけどね」とハッキリ答えが返って来て嬉しかったです。
でもいずれはそういった土地の歴史は忘れ去られるのでしょう。
何か球場跡地を示す記念碑みたいな物があるのかどうか周辺を歩いて調べてみたい気持ちもありましたが、部外者が住宅地をむやみやたらに徘徊するわけにもいかなかったので、すぐにこの場を去りました。
それほどメジャーでないアマ球場だったので記念碑みたいな物は無い可能性の方が高いでしょうからね。
近くには至学館高校があります。
そして一駅隣にはナゴヤドームがあります。
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