蜃気楼旋風 富山・魚津高校
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Mr.black
2010年09月22日 14:14 visibility2810
今回BCリーグを観戦したのは富山県魚津市の桃山球場でした。
最寄り駅とは到底言えないくらい離れていますが、この球場に行くために私たちはJR魚津駅に降り立ちました。
このJR魚津駅から北東に10分ほど歩いたところに「富山県立魚津高校」があります。
この学校は夏の甲子園にはたった二回しか出場していないのですが、熱烈な高校野球ファンには有名な学校です。
今日でも名勝負の一つとして語り継がれている延長18回引き分け再試合の熱戦が「徳島商業ー魚津高校戦」だったからです。
それは1958年(昭和33年)の第40回大会の準々決勝でのことでした。
徳島商業はのちにプロ入りする板東投手(中日)を擁した優勝候補。
その一方で魚津はこの時が甲子園初出場でした。
富山の無名の県立学校だった魚津。大会前の下馬評も高くはありませんでした。しかし強豪校を相次いで倒してあっという間にベスト8へ進出。その躍進は「蜃気楼旋風」と話題を集めました。
そして徳島商業との息詰まる延長戦。試合は18回を終了しても決着がつかず、引き分け再試合になりました。実は甲子園でこの延長引き分け再試合が適用されたのはこの試合が初めてだったということです。(偶然にもこの大会から適用された新ルールだったらしいです。)
翌日の再試合は徳島商業の勝ち。徳商の板東投手は翌日も完投したのですが、魚津の村椿投手は先発登板せず、控え投手が投げてついに力尽きたのでした。
板東氏は後日、「引き分け再試合が決まって甲子園の通路で握手した時、相手の村椿投手が凄く華奢で疲労困憊であるのが見て取れた」と語ったそうです。強豪相手に細腕で力尽きるまで投げていたのですね。
全くの無名校でありながら全力で戦い、甲子園に旋風を巻き起こした魚津高校。
静かな港町にたたずむこの県立校がいつか再び甲子園で蜃気楼旋風を巻き起こすことがあるのでしょうか?その勇姿を是非見てみたいと思っているのは私だけではないでしょう。
正面の石造りの校門はかなり古かったです。
旧校舎からの移築みたいです。
なお、写真手前に写っている黒っぽい石柱は統合された各学校の古い校門柱のようです。
魚津高校は長い歴史の間に複数の学校との統合を経ているのですね。
こちらが現在の正門の石柱。これも移築されたかなり古いものです。
校歌の石碑。
作詞: 藤島 宇内
作曲: 團 伊玖磨
と刻んでありました。
團 伊玖磨氏は名前だけは知っています。
音楽に疎い私が知っているくらいですから有名な方のようですね。
校章。
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