虹色球団

  • Mr.black
    2019年05月01日 11:00 visibility2159

先日、外出先でフラリと立ち寄った書店で偶然面白い本を見つけたので購入。読破しました。

 

タイトル:虹色球団 日拓ホームフライヤーズの10カ月

作者:長谷川晶一(敬称略)

出版:柏書房

価格:1,800円(税別)

 

内容はかつて1973年にパ・リーグに存在していた日拓ホームフライヤーズの誕生から消滅(身売り)までの10カ月間を描いたものです。

作者はパ・リーグで短命に終わった球団に関心があるようで、過去には高橋ユニオンズとクラウンライターライオンズ(福岡ライオンズ)についての著作もあるようです。

 

<参考>

「最弱球団 高橋ユニオンズ青春期」

「極貧球団 波瀾の福岡ライオンズ」

 

 

これら3球団については私自身も以前から関心を持っているのですが、高橋(トンボ時代含む)とクラウン(太平洋クラブ時代含む)についてはいろいろな書物が出ており、一定レベルの知識はありました。

特に西鉄~太平洋~クラウン~西武の変遷はリアルタイムで見ていたので、知っている部分はかなりあります。

 

しかし日拓ホームに関する書物は少なく、存在した期間が1年足らずの為にその記述もごく僅かです。

この日拓球団もリアルタイムで見てはいたのですが、あまりにも短命かつ当時のパ・リーグの露出度不足&情報不足により、ほとんど知識を持ち合わせていませんでした。なので飛びつくように購入した次第です。

 

1.映画産業の衰退により、松竹と大映は既にプロ野球経営から撤退。フライヤーズに並々ならぬ愛情を持っていた大川博オーナーの死去により東映も球団を手放す機会をうかがっていた。

 

2.新興企業である日拓ホームは企業名の認知度アップと企業イメージのアップを目論んでいた。

 

3.当時気鋭の若手・中堅の経営者達がプロ野球経営に関心を持っていた。(この裏話は特に注目)

 

4.西鉄ライオンズの引受先が見つからない。

 

5.当時も「1リーグ化構想」が出ていた。

 

これら様々な要因が重なって誕生した日拓ホームフライヤーズ。

しかし、各人の思惑と実情は思わぬ方向に。

起死回生を図って作った「7色ユニフォーム」の効果は?

(↓下は別紙からのコピー。)

 

 

非常に面白い内容でしたし、当時はまだ子供だったので理解出来ず「何故?」と思っていたことがいろいろ判明して勉強になりました。

 

この1972年秋から1974年初頭にかけてのプロ野球界の動きは、2004年から2005年の近鉄消滅・球団削減による1リーグ化構想・ライブドアと楽天の球界参入争い・ソフトバンクによるホークス買収とダブる部分もあり、「30年経ってもパ・リーグを巡る情勢はそれほど大きく変わっていなかったのだな・・・」と再認識しました。

 

「あの頃もし

日拓がプロ野球界に参入していなかったら

日本ハムが東京進出を画策していなかったら

中村長芳オーナーが福岡球団を作ってくれなかったら

太平洋クラブやクラウンライターが資金を出してくれなかったら

パ・リーグは、いやプロ野球界はどうなっていたのだろう?」

そう思うと冷や汗ものです。

 

僅か10カ月しか存在せず、ドラフト会議にすら出席していない日拓ホームフライヤーズ。(※後述)

しかしこの球団があったればこそ現在の北海道日本ハムファイターズがあると言えます。時代の転換期には架け橋となる人・企業・組織が現れるのですね。

ライブドアや楽天やソフトバンクも同じく。

 

プロ野球ファン、特にパ・リーグ球団を応援しているファンの方々には読んで欲しいと思う1冊です。

 

(※)

1972年秋のドラフト時はまだ「東映フライヤーズ」、そして1973年秋のドラフト時には既に「日本ハム球団」になっていたので「日拓ホームフライヤーズ」としては一度も参加なし。

なお、「ファイターズ」のニックネームが付けられたのはドラフトよりも後のことです。 

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