消えた球場(40)長野城山球場
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Mr.black
2020年10月04日 08:55 visibility3275
「とあるライフワーク」、それは「球場跡地の訪問」です。
前回からちょっと年月が経ってしまいましたが、このシリーズもとうとう40回目になりました。
長野県にある有名なお寺「善光寺」。
この善光寺の本堂から北東に6~7分ほど歩いた所に「城山公園」があります。
「城山」は「しろやま」ではなく「じょうやま」と読みます。地名は難しいですね。
公園の中央辺りに円形の芝生広場があるのが分るでしょうか?
かつてこの位置には「長野市営城山野球場」という硬式野球場がありました。
完成したのは1926年(大正15年)。この大正後半から昭和初期にかけては日本国内で野球場の建設が増えてきた時期でもあります。海外からの輸入競技である野球が徐々に日本国内で人気を博してきたことを物語るエピソードですね。
この地図では左側が北になります。
そして右上角がかつての球場のホームベース側、左下角がセンター側。
つまりこの球場は守る野手の正面に太陽が来る方位になっているということ。フライが上がったらタイミングによっては太陽光が眩しくて守りづらかったでしょう。
グランドの様子は球場完成当初は分かりませんが、最終形は内野クレー、外野天然芝だったようです。
NPBの資料によると両翼91.4m、センター115.9mとなっています。昔の球場ですから全体的に狭いグランドですね。
NPBの資料に記載があるのは、すなわちここでプロ野球の試合が開催されたことがあるということ。
初試合は1947年(昭和22年)8月17日、カードは「東急ー阪急」の10回戦と記載されています。
私が以前読んだ「消えた球団 松竹ロビンス」の巻末資料には1950年(昭和25年)のロビンスの公式戦記録が列挙されており、そこにも試合開催球場の一つとして「長野城山」の名がありました。
NPBの試合は合計で41試合行われたそうです。
その後はアマチュア専用球場として長く存続しましたが、老朽化などによって2000年(平成12年)に閉場しました。現在のように整備されたのは2007年(平成19年)。偶然ながらちょうど私がこのラボーラに登録した年です。もっと早くにここに来られたら球場見物が出来たのですがね・・・。
上は現在の様子。
広場が円形をしているのがここがかつて野球場であった名残ですね。私の立っている場所はおそらく1塁側スタンド近辺だったと思われます。後方に山々が見えて気持ちの良い公園でした。きっと眺めの良い球場だったことでしょう。
この野球場の代替として長野冬季五輪後に野球場に転用されたのが現在の「オリンピックスタジアム」。
それと近い時期に既存の「長野県営球場」のグランドが国際基準に合わせて拡張されました。1990年代後半から2000年代にかけては野球場の転換期があったのですね。これも面白い歴史です。
オリスタでは2回観戦したことがありますが、県営は未訪問なのでいつの日か訪れて観戦したいものです。
(県営では高校野球の長野大会やBCリーグの公式戦が行われるのでいつかチャンスは来るかと思っています。)
「消えた球場」を徘徊し、そこに思いをはせつつ「現存する野球場」で観戦する。これが私のライフワークです。行動できる限りは継続したいと思っています。
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