校名に「地名」は残して欲しかった(紀央館高校 旧・御坊商工)

  • Mr.black
    2020年09月22日 13:12 visibility2508

和歌山の御坊市民球場で「2代目カンドク」の試合を観戦後、ちょっと立ち寄った場所があります。

 

 

それは県立紀央館高校。JR御坊駅から徒歩5~6分程度の場所にあります。

この校名ではピンと来ない人もいらっしゃると思います。高校野球ファンにとっては旧校名の「御坊商工」の方が記憶に残っているでしょうね。

 

御坊商工はセンバツに3回出たことがあり、その中で最も輝いたのは1981年(昭和56年)の第53回のセンバツでした。

初戦を突破した同校は2回戦で愛知の大府高校と対戦。大府には大会屈指の剛腕・槙原投手(のち巨人)がいました。戦前の予想では大府優位でしたが、御坊商工は泥だらけの雨中戦を制して勝利し、見事ベスト8進出を果たしたのです。

当時「やるな~、御坊商工」と感嘆した思い出があります。

 

 

その後、商業科の廃止や工業科の再編などで校名が現在の「紀央館高校」へと変わったのです。

個人的には「地名を残して『御坊高校』にすればいいのに。『紀央館』だとどこにある学校か県外者にはピンと来ない。せっかく甲子園で名を挙げた学校なのにもったいない」と残念な気持ちです。

 

野球部のユニも御坊商工時代はエンジ基調(胸マークは「GOBO」)でしたが、現在は濃紺基調(胸マークは「紀央館」)に変わっていて、知らない人であれば同じ学校とはわからない状況です。これも「惜しいな」と思います。

(※)ストッキングがエンジで、これがかろうじて御坊商工の名残ですが・・・。

 

 

↑ 校章。たぶん御坊商工時代とは変わっていると思います。

なお、これはズーム撮影であり、校内には一切入っていません。(汗)

 

現在、和歌山代表は智弁和歌山と市立和歌山の2強状態になっていますが、牙城を崩していつか甲子園に戻ってきて欲しいものです。 

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