消えた球場(42)大洋多摩川球場
-
Mr.black
2022年06月03日 11:12 visibility3959
等々力球場で社会人野球を1試合観戦後、外に出て昼食。すぐには戻らずそのまま北へ向かって歩きました。
約15分歩いたところで工事現場に直面。そこが目的地。
ここは川崎市の下水道処理場「等々力環境センター」です。
かつてこの場所には大洋ホエールズの「大洋多摩川球場」がありました。運営され始めたのは1957年(昭和32年)とのこと。
多摩川周辺にはプロ野球のグランドが3か所ありました。拠点にしていたのは巨人・日本ハム・大洋の3球団です。(基本これらの施設はファーム用ですが、一軍が利用することもありました。)
この内、巨人と日本ハムのグランドはモロ河川敷にあったのですが、大洋のは土手の内側にあり、当時としては画期的で恵まれた施設でした。
内野クレー、外野天然芝のグランドが3面もあり、更には投球練習場・体育館・選手寮が併設されていたとのこと。これは現在のファーム施設のお手本となるものです。
他球団が河川敷のグランドだったり、そもそもファーム専用の自前グランドを持っていなかったこの時代に随分進んでいたのですね。
しかし、この球場と施設に関する情報は不足気味。不明な部分が多々あります。
大洋ファンであるユニフォーム研究家・綱島理友氏の記事によると、球場への出入り口は多摩川と並行した道路(神奈川県側)にあり、入るとすぐにグランドが見えたということ。そしてグランドの奥に選手寮が建っていたそうです。
当時このグランドは一般にも貸し出されており、子供だった綱島氏が父親のソフトボールの試合に同行した時、通りがかった大洋の外国人選手がキャッチボールをしてくれたそうです。それが大洋ファンになるきっかけだったと書かれています。やはり選手との直接的な触れ合いは少年にとって夢のような瞬間なのですね。
現在の下水道処理場の出入り口。綱島氏の記述からするとおそらくはここが球場への出入り口だったと思われます。
ただ、既述の通りこの球場に関する情報は極めて少なく、ここでイースタンリーグの公式戦が実施されたことがあるのかどうかは不明です。
同氏がここを「多摩川練習場」と表現しており、尚且つ自身が試合観戦した旨の記載が無いので、公式戦は行われなかった可能性もあります。
さて、大洋の二軍がここを拠点としていたのは1980年初頭まで。
その後は川崎に移転してきたロッテが利用しました。その時の名称は「等々力第二球場」。
しかし間もなくこの地が川崎市の上下水道処理場となる為、撤退。
ロッテの二軍は数年ジプシー生活の後、現在の浦和を本拠地にしました。ロッテは一軍二軍共にジプシー生活が多かった球団ですね。(汗)
大洋ホエールズ時代はたった1回しか出来なかった優勝。
「これだけの施設を持ちながら、対岸の河川敷から這い上がってきたチームに我が大洋は負け続けた」と悔しがる綱島氏。
「ファームの環境が良いことが必ずしも選手に良い結果をもたらすとは限らない。劣悪な環境によってハングリー精神が培われるのかもしれない。いったい何が育成の正解なのだろう?」とは私もよく考えます。
正解なんて無いのでしょうね、きっと。
これが跡地のほぼ全景写真。
さて、大洋多摩川球場跡地を去って私は次の目的地に向かいました。それは次回で。
-
navigate_before 前の記事
見違えるほど生まれ変わった球場(二代目・等々力球場)
2022年6月2日 -
次の記事 navigate_next
消えた球場(43)日本ハム球団多摩川グランド
2022年6月4日
- 事務局に通報しました。
chat コメント 件