先発「3本柱」を考える 第2回 夢の継投編

「打てる気がしない・・・」


 阪神ファンの僕は、90年代の巨人のエース斎藤雅樹投手が神巨戦で登板する度に深いため息をついていました。


 しかも、翌日の先発が槙原寛巳投手だったり、桑田真澄投手だったりすると「3タテやられるかな・・・」という弱気を抱かずにはいられない。


 それぐらい、あの時期の巨人の「3本柱」は磐石に感じられました。


 87年から96年までの巨人の「3本柱」の成績を見てみましょう。



    斎藤     槙原     桑田


87年 0勝0敗   10勝6敗   15勝6敗  ※優勝 76勝43敗11分


88年 6勝3敗3S  10勝13敗  10勝11敗 


89年 20勝7敗  12勝4敗4S  17勝9敗  ※優勝 84勝44敗2分


90年 20勝5敗  9勝5敗    14勝7敗  ※優勝 88勝42敗


91年 11勝11敗  9勝12敗   16勝8敗1S


92年 17勝6敗  12勝13敗1S 10勝14敗


93年 9勝11敗  13勝5敗   8勝15敗


94年 14勝8敗  12勝8敗   14勝11敗  ※優勝 70勝60敗


95年 18勝10敗  11勝8敗   3勝3敗


96年 16勝4敗   6勝6敗   登板なし   ※優勝 77勝53敗



前回取り上げた広島に負けず劣らず立派な「3本柱」です。


特に優勝した年の斎藤投手の成績は目を見張るものがあり、「エース」の称号に相応しい投手だったと言えます。


一見87年と96年は「2本柱」になっていますが、87年は江川投手がまだ現役だったし、96年はガルベス投手が活躍。優勝に貢献しています。


優勝した年の「3本柱」の勝利数がチーム勝利数に占める割合は、


87年 3割2割9厘


89年 5割8分3厘


90年 4割8分9厘


94年 5割7分1厘


96年 2割8分6厘


となっています。89,90年は斎藤投手の2年連続20勝が効いているようです。


94年の優勝は、最終戦で中日を下しての歴史的な優勝でしたが、あの時の「3本柱」の継投は球史に語り継がれる名場面。この年の「3本柱」はいずれも好成績を残しており、長嶋監督の最終戦での3人の起用は最高の演出であるとともに、最上の選択だったのではないでしょうか。


このテーマ、次の日記以降ももう少し続けさせてください。

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