高校野球 京都府北部勢の夢

 京都新聞を購読していて、何が嬉しいかといえば毎年夏の高校野球の京都大会前に参加校の選手名鑑が配達されることです。

 

 結婚した時に、新たな自分の家庭で新聞を購読するのに「朝日」「京都」かで随分悩みましたが、京都に決めた理由は年に1度、この高校野球選手名鑑がもらえることと、「京都」はフェンシングの記事が多いからです(高校フェンシングの名門の龍谷大平安高校と同志社女子高、そして同志社大学、立命館大学が京都にあるからですね。ひょっとして日本で一番フェンシングの記事が多い新聞かも)。

 

 今年も京都新聞の高校野球名鑑を手にしてワクワクしながら読んでいます。

 

 今年の京都府の高校で野球部員が最も多い高校は・・・福知山成美で114人でした。

 

 京都大会の歴代の優勝校も載っています。

 

 あらためて戦績をたどると、面白いことがたくさん分かります。

 

 意外にも「2強」と言われた平安(現・龍谷大平安)と京都商業(現・京都学園)が夏の京都大会決勝で対戦したことは4回しかなく、戦前は京商が2勝、戦後は平安が2勝で全くの互角の結果であることも今日、名鑑を見ていて知りました。

 

 名鑑をめくっていて思いを巡らせていたことで、ぜひ書いておきたいことがあります。

 

 冬季の降雪などで京都市内や府南部のチームに比べハンデがあるとされる「北部勢」で初めて京都大会を制したのは35回大会(1953年)の西舞鶴高校です。しかし、この時の西舞鶴高校は、当時あった京滋大会で滋賀の八日市高校に敗れたため、甲子園にはでられなかったのです。このとき勝利した八日市高校が滋賀県の高校で初めて夏の甲子園に出場する栄誉を掴みました。

 

 その後も北部勢は、53回大会(1971年)の宮津、54回大会の西舞鶴が京都大会優勝を果たし、甲子園出場をかけて滋賀県代表と戦いますが、それぞれ比叡山、膳所に阻まれてしまいます。この時代の滋賀県勢は強かったようで、翌年の伊香高校も京商を倒して京滋大会で滋賀が3連勝。

 

 一県一代表ではなかった時代のドラマですね。

 

 京都府北部勢についてもう少し書くと、その後も甲子園への道は遠く、結局、北部勢初の甲子園出場は1999年春の峰山高校まで待たねばなりませでした。

 

 すると、呪縛が解けたかのようにその年の夏には福知山商業が初の甲子園。

 

 なんと1999年は春夏ともに甲子園出場校は北部勢という1年前は誰も想像できなかったような快挙となりました。

 

 それから北部勢は福知山成美(旧 福知山商)が甲子園出場を重ね、府立工、峰山などが府内で好成績を残しています。

 

 京都府は旧山城国(市内の大半、府南部)と旧丹波国・丹後国ではかなり気候や風土・人情が違い、高校野球の強豪や名門といわれるチームも市内に集中していました。

 

 しかし、京都を代表する野球人・野村克也さん(南海など)は北部の峰山高校出身です。

 

 これからも北部から野村克也さんのような偉大な野球人が輩出されるのでしょうか。

 

 そして、それは今年の大会から生まれるかもしれない・・・。

 

 そんな想像を巡らせることが楽しい季節です。

 

 

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