甲子園優勝校が地方大会であと一歩まで追い詰められていた話

 2002年、第84回全国高等学校野球選手権大会は高知県代表明徳義塾が智辯和歌山を7-2で下し初優勝を果たしました。
 この大会は川之江(愛媛)、尽誠学園(香川)、鳴門工(徳島)と四国勢が全て8強入りしたことでも知られています。
 まさに四国勢のための大会。
 明徳義塾は今もプロ野球で活躍する森岡良介選手、エース田辺佑介選手ら好選手を擁し、1点差の逆転勝利だった3回戦常総学院戦以外は、ほぼ危なげない内容で優勝旗を手にしました。
 私も印象に残っている大会のひとつです。
 
 しかし、そんな明徳義塾が高知県大会準々決勝であと一歩まで追いつめられていたことを最近になって知りました。

明徳義塾 2 1 0 0 1 0 0 0 0 0 0 2 =6
岡豊    0 0 0 0 2 0 2 0 0 0 0 0 =4

 スコアを見れば「明徳は延長戦で苦しんだんだな」ぐらいの感想しか沸かないかも知れませんが、対戦相手の岡豊は9回裏無死満塁まで明徳義塾を追いつめていたのです。
 サヨナラヒット・・・までは望まなくても、犠飛でも出ればサヨナラ勝利。
 その後の明徳義塾の甲子園初優勝はなかったのです。
 しかし、絶体絶命の大ピンチを無失点でしのぐとは、さすが明徳義塾!
 そして、大チャンスを逃した岡豊高校は気持ちを切らせずその後3イニング本当に良く戦った。

 一発勝負の高校野球!
 今年もこんなドラマが全国で繰り広げられることが楽しみです。

 (現在の森岡良介選手)

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