我的愛球史 第11話 黒船来る

 我々は、自分達の概念や常識を覆す存在が海を越えてやって来た時、彼らのことをペリー艦隊の来航に準えてこう呼んできました・・・

 「黒船」。

 1987年来航の黒船とは、1人のアメリカ人野球選手のことと言って間違いないでしょう。

 既にシーズンが始まっていた4月。新聞に次のような見出しが躍りました。

 ヤクルトに現役大リーガー入団。

 アトランタ・ブレーブスの4番。

 年俸3億円。

 僕がまず目を剥いたのが「年俸3億円」。

 落合博満選手が年俸1億円をもらったということで「これが一流の証」と思っていたのが当時の僕らの認識だったと思います。

 単純に落合選手3人分の年俸の選手は、落合選手の3倍の数字を残す・・・とまでは思いませんでしたが、落合選手を凌駕する実力を持っているとみて間違いない選手だろう、そう思うと、「見てみたい」という気持と同時に何かゾクッとするような気分になりました。

 かくして、ボブ・ホーナー選手は来日しました。

 デビュー戦は阪神戦。

 その試合に早速名刺代わりのホームラン。

 その翌日の試合では3本のホームランを阪神投手陣に浴びせました。

 グランドでそれを目の当たりにした阪神のS外野手は「バネのついたスパイクを履いて打球に飛びつかないとホームランを防げない」と自嘲気味に語った・・・という話を後年読みました。

 その時の我々野球ファンはホーナー選手の打撃に拍手を贈るとともに震撼していた・・・というのが本当のところだと思いいます。

 僕は野球を見始めて2年でしたが、「ホーナー選手が打ち続けたらヤクルトが優勝するだろう。すると、ヤクルトはお金で優勝を買ったことになる。こんなんでいいのだろうか?」と真剣に思いました。

 しかし、やがてホーナー選手はあらゆる面での日本野球への適応がし切れなかったことに故障も相俟って欠場が増え、活躍にも翳りが見えるようになりました。

 それでも規程打席未満ながら.327,31本塁打、73打点はさすがと言うべきでしょう。

 野球に詳しくなかった僕は、ホーナー選手がホームラン王を取れなかったばかりか、ヤクルトがホーナー選手の加入で劇的に強くならなかったことから、ひとつの大事なことを学びました。

 「1人の力ではチームは変らない」。

 もしホーナー選手が期待された50本塁打を打って150打点を挙げたとしても、それとチームの優勝は別の問題だったでしょう。

 それでも、ホーナー選手ほど衝撃を与えられた新外国人選手の登場というのは今だ無いような気がします。

 その意味で忘れられない選手です。
 
 
 

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