打撃とは女を口説くようなもの

  • 虎男
    2017年10月29日 06:53 visibility231

昨日の草野球の試合。私はいつも自分で試合前のメンバーのオーダーを決める。ここ数年、自分の打順はほとんどビリである。11人メンバーが来ていたら、11番目の打順でDHである。昨日の試合も10人で10番目の打順を自分で書き入れた。メンバーが先の打順にしておくのが私流だ。理由は「少しでも多くの打席を楽しんでいってもらいたい。監督からの出席メンバーへの感謝の印」なのだ。誰もが打席に立って打ちたいのは理解できる。しかし、監督が自分の打席より先の打順で、監督の打席で試合が終わってしまったら「なんだよ。せっかく俺の打順に回ってきた可能性があるのに。監督の打席で終わっちゃったよ」と思われるのは本意ではない。だったら、監督がビリで、守備にもつかないのであれば文句の言いようが無いだろう。監督など「黒子」で良いのである。

 

 

その監督である私の打席は3度あった。まず最初の打席は空振りの三振である。次の打席が見逃しの三振。前の試合から、三打席連続三振の続行中という感じになった。さすがに寄る年波には勝てないのかなと気持ちが縮んでくる。おそらく両目の手術をしてから打撃が急激に落ち込んでいるのは既知のことである。それにしても自チームを創部してからの5年間は「4番捕手」であったプライドが心のどこかに残っている。「おいおい。シーズン3安打で終わりって打者じゃあないだろう。」と自分に言い聞かせても現実は二試合で3打席連続三振のなのだ。こう言う時に現実をひっくり返すために必要な事は何かと自問する。それは「開き直り」だ。

 

 

 

よくスポーツの実況を見ていると、それまでスランプだった選手が起死回生のプレーをやってのけることがある。そしてヒーローインタビューのお立ち台へ招かれ、最初に言う一言が「開き直りました」と言うセリフである。そう、この「開き直り」は「欲を捨てて、無心でやる」と言う気持ちを代弁した言葉である。やはりチームの四番を過去に打っていた自分が三打席三三振をして「ああ、俺はもう駄目なんだ。」と思う人間では、プレーは続けられないで現役引退を決断するべきなのだろうが、左肩にも激痛が走る今、とにかくそれでも打席に立てるのだから、なんとか「自分の存在感を示したい」と思うのは自然な気持ちではないか。3打席目はワンアウト1,2塁の絶好機である。打席に向かう頭の中には「打ちたい」とか「なんとかしたい」なんて欲は全くなく、それ以上に「球が来たら、悔いなくひっぱたく。それだけ。」で一球目に甘く来たストレートを叩いた。ボールは一瞬ショートがジャンプしたら届く高さかと思ってしまったが、レフト前のクリーンヒットになった。ひさびさのヒットだった。しかも引っ張ってのヒットはなかなか出なくなっていたので、一塁ベースへ無難に到達した時には「まだ、行ける」と思ったものだ。

 

 

仕事がものすごく忙しくなり、野球における練習など時間がさけるはずもない中、試合でのクリーンヒットは自分を生き返らせるための良薬であり、ふと変な想像を醸し出すのかもしれない。それは、タイプの異性を見た時に、俺の彼女にしたいと思うのは無理もないこと。しかし、相手も血の通った人間、考え方も違うし、理想もある。そして話をしてみて趣味や考え方が合うのかを確かめるのが順序であり、そしてお互いにフィーリングが合えば「おつきあい」となるのだろう。打撃もこれに似ているような気がする。なにしろ、投手のボールに対して、どうやりとりをしていくか。もちろん、恋愛も確率的には打撃と同様7割は失敗に終わって当たり前なのだ。しかし、イチローのように4割近くの打率を残せるような天才もいるのである。私は思う。打撃でも恋愛でも同じで「諦めたらそこでおしまい」なのだ。しかし、くらいついてくらいついて相手が放って来る「美味しい球」が必ず来ると信じ切る。そこに活路を見出すには「開き直る」しかないのではないだろうか。開き直るのは「覚悟」がいる。「負けてもともと」の「覚悟」だ。そこには、自分を信じ切る以外何も無い。信じた自分を信じるしかない。それができなければ、迷ったままの人生を歩んでいくのと同じではないか。一本のヒットがもたらす幸せは、真夏に飲む1杯のキンキンに冷えたビールに似ている。幸せは長くは続かないと言うのも極似していると言えよう。

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