草野球 チーム愛
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虎男
2018年02月26日 19:08 visibility473
社会人の草野球愛好者はたくさんいる。色々なスタイルでチームメンバーになっている人もいれば、チームなどに所属しない人たちもいる。1チームに所属している人、複数チームに入っている人、チームには所属せず助っ人だけを専門でやっている人。どのスタイルの人たちも「野球を好んでプレー」をしているのは同じだろう。だが、チームと言う組織を「ヤドカリの貝殻」のようにしている人たちもたくさんいるのも知っている。その人たちの割り切った考えかたを否定はしない。否定もしないし、諭もしない。だが、大人の団体スポーツで「野球だけできれば良い」のであろうか?私はそこまで割り切れない。私は私自身の性格として、メンバーと長く一緒に自分たちのオリジナルの野球をやっていきたい。そこには練習も試合も、野球以外のイベントでも野球を介しての思い出を作って行きたいと言うのがあって、継続したチーム運営をしていくことが「運営管理」の基本だと思っているので、現在も今後も同じスタイルでチームを作り上げて行こうと考えている。
大人になって「新しい人間関係」を簡単に作れる人は世の中沢山いるのだろうが、日本と言う国、昔私が35年前に大学を卒業して就職した時には「就職したら友人なんか簡単にできない」と言われた時代だった。だが、今の新大卒者がそんな言葉ってあるのだろうか?就職以降の日々で「大人の新しい友人」ができないなんて考えてないのではないだろうか。趣味が合えば、趣味の意見交換や趣味で作ったものや時間の共有ができると思っているのが大半なのでは無いだろうか。私の頃のような「気持ちの縛り」のような「諦め」にも似たような「大学を出たら厳しい世界が必ず待ち受けていて日本人の大人の気持ちの解放は酒飲んで、会社の先輩たちとおつきあいして、接待ゴルフをやって、週休二日制の日曜日には完全に身体を休めるためのゴロ寝だけしか残っていない」と言われていた。だから、私としては「だからこそ、大人の友人で同じ志を持つスポーツでの交流と思い出作り」をと言う思いで草野球チームを作ったと言える。
ただ、チームに所属したからには「長い期間」を所属したいと誰もが思って入部して来るのだと思う。もちろん、創部をした私のような人間も長期運営を目標にしている。所属しているチームに自分の気持ちが出てくることは、それだけ活動に多く携わってくれば「自分のチーム」と言う気持ちが湧き出てくるのが自然な感情であるわけで、「このチームのために何ができるか?」と言う気持ちが出てきたら「チーム愛」だろう。ただ、「何が着るだろう」と言うのがわからないうちは「チーム愛」ってなんだろう?になってしまっているはず。実際には「活動に都合が付けられる限り参加する」と言うのが「チーム愛」であると私は思っている。私の場合は、自分のチームの活動にはこの10年で1度だけ病院へ行くために休んだだけで、ここ2年半は「皆勤賞」である。自分が監督であるからと言う理由もあるが、チームの活動は自分のためにものすごく大切な活動であり、チームメンバーに「会える」と言う嬉しさ、期待感、時間が共有できることが幸せなので、継続的に運営をやれる「原動力」なのだと思っている。「チーム愛」がある選手と「チームなんて、別にどこでも構わない。野球さえやれれば良い」と言う人との違いは「チーム内でのコミュニケーションの濃度」の違いと「チームが故郷」になってない、すなわち「チームが自分の帰属できる場所」になってないのである。帰属できないチームでは「思い出話」は成立しない。この「思い出話」が大人の「青春」にどれだけ大切なものか。それがあると無いとでは、自分が野球を好きであってもチームメンバーが「あの時、あいつはあんなプレーがあって‥‥」と言う事で他のメンバーが大笑いしたり、みんなであるメンバーのホームランを褒めたりしたりすることができるかできないかの差の大きさは年数がたてばたつほど「ギャップが大きくなる」ということだ。大人の思い出作りを野球チームで作って行く。これからもずーっと。
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