対照的な昭和の男2人の逝去

  • 虎男
    2018年04月29日 21:28 visibility306

星野仙一、衣笠祥雄。どちらも生前本名と共にニックネームがあった。一人は「闘将」、そしてもう一人には「鉄人」という称号である。この二人が同い年であり、そして今年、永遠の眠りについた。そして、この二人の輝かしい野球人生を振り返るたびに、2人の野球人の「違った生き方」と「共通する部分」が印象にある。星野仙一は闘将と言われながらも、厳しさと情の人間であり、現役、監督時代を駆け抜けて行った印象がある。そこには、彼なりのパフォーマンスがあり、飴と鞭を使い分けた人心掌握術のうまさがあったことがマスコミなどで報道されている。

 

かたや衣笠祥雄の場合は、星野の現役時と比較すると「国民栄誉賞」に輝いたほど「連続試合出場記録」と言う簡単には手に届かない「金字塔」の達成者である。しかし、国民栄誉賞に輝いたことで、衣笠の野球引退後の人生には星野のような「自由奔放な生き方」ができなかったような気がする。衣笠は自分を抑え、人には迷惑をかけず生きていくこと、しかしながら自分の考え方を貫いて他人に迎合しない強い姿を見せ続けた人のような気がする。二人はあまりにも違うタイプでありながら「昭和人間の不器用で武骨な生き方」を見せてくれた男たちでもあった。

共通な部分は「昭和の男の散り際の美学」を見せてくれたことである。2人とも周囲に自分が癌におかされていたことを黙っていたことだ。これを貫き通せるのは並大抵なことではない。

 

どちらの生き方も簡単な生き方ではない。一人は衆目に年がら年中さらされて、マスコミと言う怪物に対しても自分のイメージをさらけだしながらも、野球の監督と言う職業柄、チームを掌握、自己信念をつらぬきながらも選手によっては柔硬使い分け、気配りをしながらも「大目標達成」に向けて邁進していく「勝負師」の生き方。かたやマスコミの情報だけではあるが、愛するチームの指揮官に採用されずとも野球評論家としてまっすぐ歩き通し、鉄人の称号から「紳士」の称号へと上り詰めたほどの「相手を傷つけない配慮」の「理想的な人間性」を追い続けた。それを多くの処世術をいかにも心得た自分に対しても嘘と妥協をしながら生きている平均的な凡人たち「風見鶏のような人間」にしたら「ある意味、生き方が下手糞」などと言うのかもしれない。しかし、二人とも巨額の富を手にして社会的にも評価されている人物であれば、下手な誹謗中傷はできまい。

 

厳しい考え方の人たちがどんどん減っていく。そして、言い訳や逃げばかりを考えているような人たちが社会の上にたち、セクハラなどしても平気で、やられた被害者は名乗り出るべきなどと弱い立場の人間をさらに追い詰めて加害者の人権などを振りかざす日本の今の風潮。これが今後もまかりとおる時代になるのであろう。そんな時代に星野氏や衣笠氏のような「一本筋を通して生きる手本」を見せられる人間は出てくるのであろうか。技術体力だけある人間はいつでも出てくる。しかし、人間は社会の中で生きて行かなければならない。すなわち、衆目の中で自分の生きざまを冷静に分析し、自己評価をし、他人様の考えも頭の中に入れながら、一番良い選択を考えて瞬時にそれを判断実行に移せる力を持つ事。これができる人間が今後多く出てくるとは思えない。なぜなら、今は昭和の時代と違って権利主張が先に来て、忍耐などは古臭いと言う風潮がまかり通り過ぎている時代だからだ。体罰はダメ、人権擁護と言いながらも「いじめ」は子供の世界だけでなく、会社や組織の中でも頻繁に起きている事実は昭和以上にあるではないか。こうした問題に、敢然と立ち向かえる人間が出てくることを期待しているが、オピニオンリーダーとしてスポーツのように自己の肉体をコントロールしてプロの域にまで達し、そのプロの集団を束ねられるほどの統率力と実績を持った人間が2人も天に召されてしまった今、残された多くの人たちの無念さは想像に易いことである。二人の賢人の逝去にご冥福を祈りたい。

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