ラボーラのバブルが終わった原因
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虎男
2018年05月30日 10:35 visibility473
いつだっただろうか。ラボーラの野球の「日記」が毎日盛況だったのは、私もその中にいて、毎日必死で何か野球に関する話を書いていたような気がする。そして一番、活気がついていた理由は「レス」が沢山ついてきたことだろう。そしてオフ会が、毎週末どこかで行われていた。いや、下手をすると、平日ですら顔も見たことが無い者たちが、野球SNSで一、二度コメントを交わしただけで自分の住む場所が、彼の家の近くであるという「共通点」があっただけで、いきなり「会って飲みませんか?」となり、居酒屋で初対面してお互いの野球感を好感して、気が付いたらSNSに写真をアップロードして「次の週末に僕のチームに助っ人で来てくれることになりました。」と言う日記がいくつもあった。皆、酔いしれていた。そして、新たな出会いを求めていたのだろう。それがある日突然はじけた。
SNSをやり始めたのは、おそらく20数年前。私が33歳くらいだったころだ。その頃、やっていたSNSは年代別の部屋があって、その中で同世代とコミュニケーションをとるものだった。だが、そんな形のSNSは当時は少なくて、チャットが大流行で、毎晩毎晩10人くらいの人間たちと「たんなるおしゃべり」をインターネット上で繰り返していた。そこでもバブルは発生していた。すごかったのは、言葉をチャットなどで交わしているから、オフ会で初めて会っても自己紹介など省けてしまうので、コミュニケーションが深くなるのに時間がかからなかった。そして、もともと地域も違うし、昔であれば知り合うことなど無い間柄の人間たちが「同じページ」に集って、しかも自分たちの意見交換ができるようになったからこそ、相手に対する興味や趣味の一致などで深く結びつきができたと思えることが「ものすごく短時間」で可能になったからこその「友人作り」に劇的に変化をした。
しかし、ネットのこうしたSNSバブルは必ず「はじける」。それは無理も無いのだろう。結局、ここでのコミュニケーションは「実際に会う」ということをしないでも、言葉によるコミュニケーションで良いと考えている人たちの交流場所であり、大半が「ああ、やはり現実に毎週末一緒のチームで野球がやれるメンバーとの会話が一番楽しい」と言うところに帰結した結果、夢のような「野球バカの祭典」だった、ここで作られたオフ会の集団は個々に自分たちの「生のコミュニケーションができる場所」へ戻って行った、というよりも夢に浮かされていたのが、現実と比較をして現実の方のコミュニケーションへ戻って行ったからこその「ネットバブル崩壊」になったと私は分析している。
私のここでのスタンスは、すでに備忘録としてのブログ書きであり、昔のオフ会を求めての「出会いのための日記作成」では全くない。だからといって昔ここで出会った人たちとの出会いにはすごく感謝しているし、野球へのアプローチの仕方の意見交換などすごく勉強になったりしたのは事実なので、とても良い出会いを持てたと思っている。
これだけは言えているだろう。もし、ここで私が今「SNS利用者野球大会」を企画したところで、おそらく1桁の人数が集まるかどうかって思う。理由は、多くのSNSがそうだったように「一度はじけたネットバブルは元には戻らない」のを知っているからだ。なぜなら「盛り上がりが終わった場所に人は集まらない」のが常だからだ。そして、野球を自分のチームでやっていることの価値の「尊さ」に気が付いたのだと思う。一時はネットでの出会いを「楽しく、そして物珍しく感じ、これが現代のコミュニケーションで簡単に趣味の共通した友人に会えるようになった」と感じたのは私も同じだった。しかし、やはり人間はネットでの責任がなく規則にしばられない、いわゆる組織に属さないコミュニケーションを継続させていくことは困難なのであろう。今後も、おそらくこのSNSが昔のようなバブル期を迎えることは難しい。理由は、ネットのコミュニケーションは何年継続しても「ネットの上で思い出共有」ができないからだ。組織に属していれば、否が応でも色々な「現実の共有体験」がある。だが、ネットはその場限りで、責任すらない一方通行になりかねないツールであることは皆さんもご存知であるはず。まあ、私はバブル再燃を願ってはいない。むしろ、このままの水準を保ってほしいと考えている一人である。
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