老いたなぁ。
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虎男
2019年03月31日 21:58 visibility432
久しぶりの試合。午後3時開始のグラウンドへ到着したのは午後1時45分。試合のある日には、チームメンバーに対して、集合は試合開始1時間前とチーム規約にも謳ってある。私は運営管理者であり、チームの代表者でもあるので、必ずメンバーの誰よりも早くグラウンドへ到着するようにしている。よく、チームの選手兼監督である人たちが「試合の日には時間がない。自分のための事前の準備など全くできない。」と言っている人たちの多い事。だったら、早くグラウンドへ来て、自分の準備ができるようにすればよいだけのこと。私は、この冬から春にかけての間は、ユニフォームを自宅から着こんでダウンタイプのグラウンドコートを羽織ってグラウンドまで行く。もちろん電車利用だから、多くの人たちにでかいバッグを車のついたキャリアーに乗せ、転がしながら引っ張っていく姿を見られながら来るのだが、別にこの年でお咎めくらうこともない。そしてグラウンドについたら、まずは足の屈伸から始めるストレッチを十分に行うのが試合前のルーティンだ。足は入念にやる。それとサポーターをいくつも巻いて来る。サイサポーター、ニーサポーター、カーフサポーター。全て両足に強く巻き付けて、その上に黒いストッキングを履いて来るのだ。肉離れはごめんだからだ。思い起こせば15年前の4月の試合でチームが創設されて、2試合目で肉離れを初めて経験した。その痛みたるや歩けないほど。全治2週間と言われて、本当につらい思いをしたものだ。それ以来、寒い時期には両足とも肉離れが嫌なので、サポーターで締め付けての野球をやるようにしているのだ。
昨日の試合で、油断をしていたことがある。それは9人が集まったので試合ができると喜んで余裕をかましていたことだ。その余裕がオーダー表にスタメンを書き込む段階になって、顔が青ざめて来たのだ。理由は「捕手ができる選手」がいないのに気が付いたのだ。自分のいつも野球に持ってくる大きなバッグの中を急きょ探してみたのだが、運悪くキャッチャーミットが入っていない。マスクとキャッチャー用ヘルメット、レガース、プロテクターは入れてあるのにミットだけを自宅の部屋に置き忘れてきてしまっていた。「どうしよう・・・・?」
メンバーにキャッチャーどうしようと問い合わせてみると、ミットだけは持っている者が一人いて、仕方が無いから、この際キャッチャーの経験のある私自身が7年ぶりくらいの実戦マスクをかぶることになった。しかし、肩はもう全く遠投ができないので「盗塁は走り放題」になるのを覚悟して、ミット、マスク、キャッチャーヘル、プロテクター、レガースの全てを身にまとい、ターミネーターになった気分で実戦捕手としてバッターの後ろで構えることに。マスク越しに投手を見る自分が、遠い昔に何を考えて投手へシグナルを出していたのかが蘇って来る。打者の打席の立ち位置。打者の構え。そしてスイングの軌道。バットを構えた位置。スタンスの足の幅。色々なことを観察しながら、どの球を初球に要求し、どの球でバリエーションを膨らまわし、打者を惑わそうと試みるか。以外と昔正捕手をやっていた頃の捕手の考え方が、やりだしたら戻って来るものだ。もちろん投手の力量もあるだろうが、初回はうまいこと0点でおさえられた。
しかし、試合後、試合を録画したビデオを見ると、背番号やユニフォームは15年前と同じだが、なぜか自分の背中が小さくなっているのに気が付いた。そして、投げることも、ボールに反応する事も大きく違っている。そう「老い」が静かに忍び寄っているってことだ。野球のために、あれだけ毎晩浴びるほど酒を飲んでいた自分が、4年前に痛風になったその日から一滴も酒を口にしなくなった。タバコもギャンブルも、もちろん風俗へもない。品行方正というよりも、父親の反面教師が私の身体に染みついているのだろう。父は4年間の大東亜戦争あ奇跡の復員をしてきた元陸軍の学徒動員で、激戦地満州で山ほど敵兵を殺してきた青春時代を贈らされてきた人間だ。その人が酒、たばこ、麻雀に明け暮れたことに嫌悪感を子供のころから持った自分ではあったが、酒の誘惑には勝てなかった。しかし、20歳から飲み始めて、54歳まで飲み続けた自分には一大転機だったのだろう。痛風は神のお告げだったのかもしれない。好きな野球をもっと続けていきたいと思ったら、酒を辞めるきっかけを作らなければいけないと常々思っていたのだが、痛風のあの痛みがそのきっかけとなった。だが、老いをそれらの節制で止めることはできない。
昨日の試合は大敗だったが、その試合の帰りに私は敗戦投手のM君を誘って居酒屋へ連れて行った。私はウーロン茶だけだ。その彼と話をした。私がなぜ、ここまで草野球に力をいれ、そしてチームの運営管理の仕事を一手に引き受けて頑張っていられるのか。それは、自分の人生で悔いを残したくないからであり、自分が作った野球チームに入部してくれたメンバーへの感謝の印であると。自分がプライベートが充実していない人って、救われないってことだ。仕事のことばかり24時間考えている人たちはそこら中にやまほどいる。しかし、仕事は仕事。プライベートがあって心や気持ちを解放させられる充実した時間を得られると感じられるのは幸せな事で、そういうものが無い人が酒、たばこ、ギャンブル、風俗などの「中毒性のある横道」にそれ、そしてそれに金を使って、刹那な無駄な金を投資することになる。それでも後悔をしないのは、それがストレスやプレッシャーからの逃げ道だって信じているからで、そういう物に目がいかなくなって、本当に好きなものにお金を使うのであれば、そこには満足感だけが残って身体を痛めることはなくなるので、充実したプライベートになるのにといつも思うのである。だが、そうあっても「老い」は止まってくれない。でも、それも分かった上で、私はまだまだグラウンドにユニフォームで立つ。それが私のプライベート充実作戦となるからで、現役を引退しても監督としてユニフォームを着続けるつもりである。
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