日本型“総監督”の限界
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DIME
2010年05月27日 11:40 visibility255
ヤクルトの高田監督が辞任(休養)との事です。
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高田監督、涙の辞任「途中で投げ出して申し訳ない」
ヤクルトの高田繁監督(64)が26日、成績不振の責任を取って辞任した。楽天戦に2―3で敗れて9連敗を喫した後、鈴木正オーナー代行兼球団社長(68)と緊急会談。辞意を申し入れて了承された。同監督は今季が3年契約の最終年。ここまで借金19でセ・リーグ最下位に低迷。20日に球団に一度は辞意を伝えていたが、慰留されて翻意していた。
クラブハウスから球場内の会見場へ向かう高田監督に、ファンから「高田コール」が送られた。覚悟を決めた背中に浴びせるバ声はない。帽子を取った指揮官は目に涙を浮かべた。
「ユニホームを脱ぎたいと話して了解を得ました。これまでも球団の方に頑張れと言っていただき、頑張ってきましたが、監督の進退でにぎわすようなことがあれば選手が野球に集中できない。決断すべきだと思いました。責任を取りたいと思った」
決断を下したのはこの日だった。高田監督は球場入りすると、鈴木オーナー代行兼球団社長とクラブハウスで会談。試合前とあって、その際は「指揮を執るつもりです」とあえて発言。選手の動揺を抑えるため進退問題を封印して試合に臨んだ。しかし、楽天相手に1点差で敗れて交流戦9連敗。試合後、再び鈴木オーナー代行と会談してあらためて辞意を申し入れた。
4月下旬から大型連敗が続いて借金10を超え、再浮上を目指した交流戦も開幕から連敗が続いた。「責任を持って預かったチームを途中で投げ出すようなことはしない。自分からギブアップすることはない」と一貫していた高田監督だったが、借金が15となったところで球団側に進退伺を出した。今月20日には鈴木オーナー代行と会談して辞意を申し入れたが、慰留されて一度は了承。当面は指揮を継続する異例の発表もあった。しかし直後の22日、ロッテ戦(千葉マリン)で4―20と歴史的惨敗。高田監督は試合後、辞任の可能性を口にしていた。
◆高田 繁(たかだ・しげる)1945年(昭20)7月24日、大阪府生まれの64歳。浪商から明大に進み、リーグ戦通算127安打は現在も東京六大学通算最多安打記録。67年ドラフト1位で巨人に入団。V9メンバーとして活躍し、外野守備では「塀際の魔術師」と呼ばれた。80年に引退。通算成績は1512試合、打率・273、139本塁打、499打点、200盗塁。85年から4年間、日本ハムの監督を務めたほか、05年から日本ハムでGMを務めた。08年にヤクルトの監督に就任。昨季は3位でCSに出場した。
[ 2010年05月27日 スポーツニッポン]
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ここで言及していたかどうかをしっかり覚えていないのですが(過去ログ探す時間が無くてすみません)、高田氏が監督就任したときに、球団側がGMとしての結果を安易に監督としての資質に結び付けて期待していたこと、或いは本人からも「監督をしてみたかった」という発言があったことには懸念を覚えておりました。
最近ではほとんどの人が「GMと監督は違うだろう」という意見には耳を傾けてくれる気がしますけれど、その意見には賛同している人からも監督に人事権がない事を問題視したりするような声は良く見られる気がします。
総論では賛成してくれるんですけれど、まが具体的に「GMと監督を分ける」ということがどういう事なのかという点について広まってないからだと思います。
今日はその点について書いてみたいと思います。
簡単に言えば、結局のところ最終決定権が監督にあるとすれば、それは「GMと監督を分ける」ということにはなっていません。
例えば、球団側が編成方針や補強方針を決めたとしても、監督が気に食わなければそれを変える事ができる。そんな状態であればわけているとはいえないでしょう。
前から書いていますが、球団には短期的な目標と長期的な目標があります。そしてそれは往々にしてバッティングします。
GMと監督、この場合はフロントと首脳陣と言い換えてもいいのかもしれません。この2つの場合、フロント側は数年サイクル、首脳陣側は1シーズン毎がそれぞれの目標だといえます。
フロントは数年サイクルで人事的な評価がされる(一部人事は永久に変わることがないこともありますが)事に対して、首脳陣は基本的に1シーズンで人事的な評価がされる事を考えれば自明ですね。
その1シーズンだけを考えるならば、現在ピークにある選手だけでチームを構成し、そのシーズンの優勝を追い求めるのが最善ですし、翌シーズン以降に疲労が残ったり怪我が発生するリスクを軽視して戦う方が良かったりします。
でもそんな事を続けていれば、数年サイクルで考えたときにチームにどこかで限界が訪れるのは誰の目にも明らかでしょう。
だからといって、「1シーズンごとに評価される」人たちに「数年サイクルで見たときに最善な選択肢の実行」を求めるのは、フェアなやり方ではありません。
だから、「数年サイクル」で評価される人間を設けて彼らはその基準で評価し、「1シーズン」で評価される人間を設けて彼らはその基準で評価することが必要となります。
それがGMであり、監督です。
今回の高田監督でいえば、彼は監督でありながらも、基本的に非常に長期的視野で動いていたと思います。
よく言えば、自分が結果を残し適正があると思われるフィールドで勝負していました。でもそこは監督のフィールドではなかった、やっぱりGMのフィールドです。
もっと言えば、「GMとしての役割」だけで見れば十分評価に値する事をしてきたのではないでしょうか。
問題は彼が監督であった為、長期的最善を追求した結果、局地的に陥った大きなマイナスに対しても対応しなければいけなかったこと、責任をとらなければいけなかったこと。
正直なところ、それはちょっと可哀想でもあるかなと私は思います。
今回の件で、あらためて日本球界でGMの重要性、そして監督とGMの役割の分離の必要性が認知されると良いんですけどね。
もちろん、GMと監督の分離が唯一絶対の正解だとは思いません。
結局GMと監督を分けたとしても、互いに長期的な方針と短期的な方針を持ち合って、それをぶつけ合わせて最終的なチーム方針を決定するわけです。
ということは、長期的な方針と短期的な方針をしっかり区分けして平行して評価したうえで、その時々に応じてどちらが最善かを判断するということが一人で行える人がいるとすれば、別にその人が“総監督”であっても構いません。
問題は長期的な方針と短期的な方針とを都合よく使い分けてしまってあやふやになってしまうことなので。
ただ、現実的にそれほどのことができる超人的な人というのはマレなので、超人探すよりは物理的に複数の人に職務を分離した方が現実的な対処方法だろうと思っているわけです。
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こちらの記事は非常に示唆的だと思います。
時間がないのでまた次回。
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希薄だった執着心 高田監督 求心力の低下は顕著だった
高田監督はヤクルトに来る前は日本ハムでゼネラルマネジャーだった。戦力分析にたけ、彼我のチーム力の差は的確に分析できる。だからこそ、現状に早々と見切りを付けられたのだろう。
今、球団は新外国人選手獲得やトレードに動いている。高田監督はかねて球団の支援の少なさに不満を抱いていたが、ヤクルト球団に潤沢な資金はなく、過度な期待ができないこともよく理解していた。
フロントとしての豊富な経験に裏打ちされた「物分かりの良さ」は、グラウンドでは勝利への執着心の希薄さに表れていた。不調でも主力には劇的な手を打つのを避け、戦術の硬直化も目に付いた。年齢が離れ過ぎた選手との関係性も浅く、ここに来て求心力の低下は顕著だった。
「最後に(チームを)変えるのは監督を辞めること」。現場もフロントも知り尽くした指揮官。自らの辞任が最大のカンフル剤になるという冷静な見立ては、皮肉にも正しいと言えるのかもしれない。
[ 2010年05月27日 07:47 スポーツニッポン]
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なんだか久しぶりに文章書くとぎこちないですね。
自分の国語力がまた一段と下がった事を実感しております(笑)。
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- 事務局に通報しました。
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