その1 書評 巨人軍は非情か
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DIME
2009年01月18日 00:25 visibility225
その1なんで、頑張って次も書くつもりです、今のところ。できるだけ短期間でアップしたいと思いますので、この時期だけ、ランキングご協力ください。
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私が日記を書き始めたのも元をたどればそこにたどり着くのですけれど、巨人軍にもっとも足りていない点は、「自己主張」だと思っています。
ここ最近はそれが少し解消されつつあるなと感じていて、その活動の一翼がこの書籍の元となった週刊ベースボール誌上での清武球団代表のコラムでした。
で、その「自己主張」を最も知っていて欲しいのは、巨人ファンなんです。その理由は巨人ファンが少数派、マイノリティだから。昔はどうだったか知りませんが、今の巨人ファンは間違いなくマイノリティです。
ファン総数で見れば間違いなく多い方ではあるでしょうが(たぶん2番目)、こと巨人に関してだけは他ファンは「非巨人ファン」として一体化してしまう傾向があります、そうなってしまえば巨人ファンは圧倒的な少数派といわざるを得ません。
巨人と同じような認識を持ち、同じような経営スタイルを持っている球団のファンでさえ、球団の活動が巨人と同一である事を是認したがらず、自分たちの核は“キレイな核”なのだと主張するのが常ですから。
そういう状況にあるのは仕方がありません。その状況を招いた主因の一つには「自己主張」を避けてきた、自分たちの論理の正当性を知らしめてこなかった球団の姿勢にあるのですから。それを非難してこなかったファンも同じく。自分たちがマジョリティであるかのように振る舞ってきた球団の傲慢さです。
話を戻して、マイノリティだからこそ、自分たちの考えというモノを確固として持っておくべきだと思うのですよね。別に他に考えを強要する必要はないけれど、ただ自分たちの基盤はしっかり持っておかないと周りに流されてしまいやすい。
具体的に言えば、例えば書籍の中で「球団支店論」と表現されているような考え方。
これに類するような考え方だと、どうしても巨人、一般化して言えば、「属するリーグの中で人気や実力が突出したチーム」のファンはその心理の中に構造的矛盾を抱えることになります。突出したチームがより強くなることと、リーグの発展とが、反比例することになるからです。
今の巨人ファンは、「巨人には強くなって欲しい。だけれど巨人が強くなると言うことはプロ野球全体のためにはなっていない」という心理的矛盾を抱えてしまわざるを得なくなってしまっているっていうことです。これでは正直巨人ファンとしては楽しみづらい。
その解決策として、「チームが強くなることを否定する」という歪んだ思想に落ち着いてしまうファンも見受けられますがこれは正直非情に残念なことですし、そのような歪んだところに貶めてしまった球団の責任は大きいと思います。
何度も言っているとおり、この矛盾は、そもそも戦力均衡がリーグの発展に寄与するという前提に立ったものです。そして球団はそれを否定している、違う形でのリーグの発展があると考えている。少なくともずっとそう考えていたはずです。
ならばそれをちゃんと示さなければいけなかったのですよ、少なくとも巨人ファンには。他のファンは知ったこっちゃないですけど、巨人は巨人ファンにはそう説明する義務があると私は思います。別に巨人だからって訳じゃなくてね、チームとファンっていう関係性において。ところがそれが出来てなかった。
それが出来ていないなと思ったからこそ、私は巨人ファンとして巨人ファンのためにこうやって日記を書いてたんです。変なことを考える必要はない、巨人が強くなることはプロ野球の発展のために何ら悪いことではないって。
私事ですが、更新のモチベーションが下がってるのもそこら辺にあります、少なくとも最近の巨人はそのあたりがようやく出来てき始めているんじゃないか、ファンの認知度もあがってきつつあるんじゃないかって。
私は別にオピニオンリーダーになりたいわけでもないですし(むしろ面倒だからイヤです)、自分が特別なことを言っているとも思いません。誰でも思いつくようなことを言っているだけ、なぜ言っていたかといえば自明のことのはずなのに、何故かその認知度が低かったから。
自明であることを自分のオリジナリティだとか恥ずかしいことを言う気はありません、それが認知されてなかった方が不自然であっただけであって、今は不自然さが解消されつつあるだけ。その不自然さはマスコミの一面的な捉え方が遠因だろうと思いますけども。
少なくともそこに存在する自明な事実を示すのは、1ファンに過ぎない私よりも、巨人軍に属する人間が行うのが的確であるのは明らかです、むしろ本来ならそれは彼らの仕事です、それをちゃんとなさってくれるのであれば、私が駄文を書き散らす必要は別にありません。
この本の中で、清武氏は「球団支店論」を「暴論」だと書いています、この記述が必要なことです、これを球団にはちゃんとして欲しい。
だからね、私の文章を読むぐらいならば、ちゃんとこの本を読んで欲しいわけですよ、巨人ファンは巨人ファンたる義務として。
プロ野球という全体のビジネスを考えるときに、巨人はどのような考えを持っていて、その考えを元にどのように活動すべきなのか、実際に動いているのか。それは球団がファンに対して告知するべき事だと思っています。
逆にファンは、球団が行っているその告知をできる限り受け取らなければいけないことだと思っています。その告知の一環が週ベ誌上の連載であり、この本です。
これからのプロ野球はどうあるべきか、この点について巨人はどう考えているのか、その一端を知るために是非読んでおいて欲しい本です。
以上読んで欲しい理由その1でした。
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(一部引用)
●球団支店論
・・・・・・
新人ドラフト論議の中で、「球団支店論」を唱える球団が少なからずある。
「十二球団は一つの会社のようなもので、新人ドラフトで球団に指名される選手は、支店駐在を命じられる社員のようなものだ」
「プロを希望する選手には、特定の球団に就職するのではなく、NPB(日本野球機構)に就職するのだ、という意識を我々で持たせなければならない」
経営力、伝統、地域性、選手待遇・・・・・・球団格差を無視した暴論である。(中略)
どの球団に入団するかによって、選手の運命は変わってくる。それを球団はどこでも同じだといわれては、企業努力をしている方も悲しくなる。(中略)
私はそんな談合ルールで縛るのも縛られるのもごめんこうむりたい。そもそも、選手はだれのものと考えているのだろうか。
【全部引用してしまうのは問題なので是非読んで欲しい部分もわざと略してあります。】
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さて、蛇足です。特に推敲していないので、わかりにくいぶぶんが多々あろうかと思いますが、ご容赦ください。
一つ一つのチームの発展の積み重ねがリーグの発展であるはず、マクロでの「リーグが発展する」ということは、ミクロで「チームが発展する」と同じはずです。
ところが戦力均衡を前提としたビジネスモデルだと、強いチームは必ず自分のチームの発展とリーグの発展とが矛盾せざるを得なくなる。マクロとミクロで真逆を向いてしまう。
そのように構造的矛盾を抱えることになるビジネスモデルはやはりおかしいんじゃないかなぁと私は思います。少なくとも私ならまず矛盾しないビジネスモデルを先に考える事から始めます。
スポーツリーグが順位を争うものである以上、相対的な順位付の結果として必ず「強いチーム」と「弱いチーム」が発生します、みんな仲良くお手々つないでゴールするなんてことはできませんからね。
「弱いチーム」がそこにあって、それがだんだんと強くなっていく。最初はそこには「リーグの発展のため」という錦の御旗があったのに、いざ強くなって、「強いチーム」になってしまうととたんにその旗印は賊軍を示すモノとなってしまう。存在意義がひっくり返ってしまう。
その落差にファンは耐えられるのでしょうか、賊軍であることを返上するために弱くならざるをえないという矛盾を受け入れてまでファンで居続けられる人が果たしてどれだけいるのでしょうか。
アメリカでそれでもファンで居続けられる人が多数派なのは、私はアメリカではチームに地域に属する自分のアイデンティティを重ねているので、チームを捨てられないからだと思います。でも現実的に日本ではそれだけの帰属意識をチームにもてるのか。一部の熱狂的な人間が持てたとしても、全体が持てないようであれば経営は成り立たないでしょう。
別の側面から言えば、閉鎖型ビジネスモデルは基本的にアメリカ「でしか」成功していないモデルです。そこには私はアメリカ特有の要因が存在しているから成立しているのだと考えるのが自然だと思いますし、その理由としてチームが地域の象徴として存在しているという特殊要因が挙げられるんじゃないのかなと思います。
逆説的に、ではチームを地域の象徴となるようにしてしまえばいい、って考え方もできるとは思いますけども、個人的にはそういうのは頂けない。歴史的・文化的な経緯でうまれたその要因を文化も国民性も考えずに導入しようとして導入できるとは思わない、そういう失敗例は日本にはいくらでもあります。
それしか道がないならそれをするしかないと思いますけどね、別に環境を都合の良いように作り替えるんじゃなくて環境に合わせてモデルを変えるのでもいいはずだし、そっちの方がスマートだと私は思います。
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- 事務局に通報しました。
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