【サッカー 清水】 斬った張ったは稼業じゃないが

春分の日、バチあたりにも両親の墓参りにも行かず、この日に出掛けたしだい。
遠州の陽射しは既に春爛漫。大島桜系は葉桜になりつつある。

都合三基の墓にお参りして向かった先はヤマハスタジアム。

今年からビジター席がかわり南北入れ替わっての観戦。
その二階席に上がれば、工事の様子もわかりますし、それより何より全体が俯瞰できること。このような一等地(窮屈さを除けば)を何故に放棄したと、大きな疑問。


さて、ゲームですがこれが昨年のファイナリストと言われたら噴飯もの。
いや、カップ戦で良かったと自分自身を慰める。

若い子達は経験しないと伸びないし、ゲームに出続けることで経験を積んでいく。
それはわかってはいるのだが、あんな結果になると萎縮してらしさが全くみられなくなる。
事実、ゲーム途中から完全にのまれ、自身喪失しプレーが死んでいる。

当然、チーム内で今後の方向性とか、進むべき道を真剣に議論しているであろうし、サポが考えるようなことは当然話題にもなり、その検討を重ねているに違いない。

このチームはわれわれサポーターを何処に導こうとしているのかと問えば、きっと次節その答えを出してくれるに違いない。

サポーターは下駄の雪。どこまでもついていくから。

だから、チームの足を引っ張る、後ろから鉄砲をうちかける行動は慎むべき。

このような時期、疑心暗鬼となり、外野が揶揄したり、面白おかしく書き立て、囃し立てる。
実際、一部報道、Twitterでは、玉石混交の話題で持ちきり。
実際、現場にいなかったし、とっと撤収したから、実際のところ何が起こったのかは伝聞のみ。


ただ義侠心、偏狭なチーム愛がよかれと思う行動が全く逆の結果をうむ。

「八重の桜」ではないが、蛤御門で一番の悪は長州にもかかわらず会津が「鬼」と蔑まれたように、池田屋事件のあと西郷頼母が「これで会津は仇持ちとなった」と嘆息したように、これまたエスパサポも同じ道を歩むはめに。

アウエイでは、あくまでも来訪者。余計は振る舞いは自身の首をしめる。

一時の短慮が、チーム全体の心証、サッカー全体の心証を悪くする。


改めて、サポーターならばリバイヴの歌詞の意味を噛み締めたい。





































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