谷川岳の岸壁(非野球)

  • 舎人
    2010年11月07日 14:34 visibility1126


11月3日で一の倉沢までのマイカー規制が解除されたので、


また今年も谷川岳まで行ってきました。


今年は天候に恵まれ、雲一つ無い絶好の天気です。


紅葉もちょうど見頃となっており、多くの観光客が訪れていました。


 


谷川岳の岸壁と言うとよく紹介されるのが一の倉沢なのですが、


谷川岳の岸壁はそれだけではありません。


一の倉沢を挟むように手前にマチガ沢、奥に幽ノ沢があるのです。


 


ロープウェ−の基地を抜け、一の倉沢の駐車場を目指して、


10分ほど車を進めると、視界が徐々に開け、まずマチガ沢が姿を現します。


ここは岩場のグレード的には3級程度で、登攀の初心者でも、


しっかりとした経験者と組めば行くことができます。


しかし、このマチガ沢が最もその存在価値を表すのは、


3月〜4月の山スキーの頃だと言われています。


 


沢と道路が交差する高さ5メートルほどの岩場に女神のレリーフがあります。


これはマチガ沢のビーナスと呼ばれているのですが、


登山家今井通子さんをモデルにした新田次郎の小説「銀嶺の人」の中で、


主人公たちが登攀の練習のために、


このビーナスの岩場を使って練習するシーンが出てきます。




マチガ沢からさらに10分ほど車を進めると、いよいよ一の倉沢が姿を現します。


頂上との高低差1200メートル、何十ものルートを誇る日本屈指の登攀のメッカです。


右端の一の倉尾根から、コップ状岸壁、衝立岩、烏帽子奥壁、三ルンゼ、


ニルンゼ、滝沢、滝沢スラブ、ニノ沢右壁、一ノ沢右壁、東尾根と続く大伽藍は、


登攀をやったことがある人もない人も圧倒的な迫力で見上げる人たちを魅了します。


 


現在は屋内の人工壁が発達し、登攀の主流はフリークライミングになってしまい、


いわゆるアルパインクライミングをやる人は少数派になってしまった感じですが、


昭和の時代はこういった自然の岸壁で多くのロッククライマーが命を賭けていました。


私が熱中していたのはこの過渡期で、やや下火になってからでしたが、


それでも昔ながらの山やが数多くこの沢を中心に活躍していました。




この一の倉沢の出合に車を留めて、さらに奥へ進みます。


ここは昔、車道だったのですが、例年の豪雪のためいつしか廃道となり、


現在では歩道のようになっています。


 


道の左右には登攀で無くなった登山者たちの慰霊のためのレリーフが数多くあります。


そんな悲しい数多くの出来事とはうらはらに、


明るいブナの木立がトンネルのように続いていました。




約20分ほどブナのトンネルを進むと幽の沢が現れます。


ここは一の倉沢よりも規模的にやや劣るものの、登攀の困難度は全く劣らず、


残置ハーケンや残置ボルトなどの先人の残していった痕跡が少ない分、


一の倉沢よりも難しい性質を有しています。


 


登攀が未熟だった頃の私をここに連れて行ってくれた人の思い出が蘇ります。


その人も遭難で亡くなってすでにこの世にはいません。


私の毎年の谷川岳訪問は、そういった人たちの墓参の意味もあります。




この谷川岳の岸壁を一望できるのが湯檜曽川の対岸にある白毛門や朝日岳の山々です。


ここからの景観は素晴らしいの一言!


特に凄いと思えるのが幽ノ沢なのですが、これは幽ノ沢の登攀対象の岩場の手前の


カールボーデンと呼ばれる傾斜の緩いスラブ帯(なめらかな一枚岩のような岩盤)が、


物凄い迫力でそり立って見えるからです。




























































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