その大鷲の名は、マルティンス
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おかき
2009年11月17日 22:49 visibility294
サッカーで勝利するには、ゴールを決めるしかない。地を這うミドルシュートでも、美しい弧を描くFKでも、あるいは身体ごとねじ込んだ泥臭いゴールでも、はたまたオウンゴールでも相手のネットを許さない限り勝利は訪れない。そのゴールへの仕事を一番求められるのが「FW」である。このポジションはゴールに最も近い分、最もゴールに対して責任があり、彼が挙げるゴール次第でチームの運命は大きく変わってしまう。
そういう意味では、2006年ドイツW杯のナイジェリア代表は悲しいものだった。アフリカ最終予選でアンゴラを勝ち点で上回る事が出来ず敗退。 アンゴラに喫した敗戦が痛恨だった。
あれから4年。またしてもナイジェリアは敗退の危機に瀕していた。アフリカ最終予選グループBはチュニジアが勝ち点11で首位、ナイジェリアが勝ち点9で次いで2位。ナイジェリアがチュニジアを逆転するには勝利した上で、チュニジアがモザンビークに敗れるしかない。この厳しい状況の中でもこの男は輝いた。
オバフェミ・マルティンス。強烈なシュートとスピード、そしてフィジカルを併せ持つナイジェリアのエースストライカー。彼は4年前の最終予選も戦っている。その彼は出場した試合は全て無敗だったが、彼のいなかったアンゴラに敗戦を喫していた。自分が連れて行けなかった責任もあった。
この日もケニアに先制を許す苦しい展開。ホームのケニアはW杯の予選敗退は決まっていたが、この最終予選はアフリカネーションズカップ2010の予選も兼ねており、簡単に負けられなかった。ケニアは前半からナイジェリアのサイドを支配し、相手に前を向かせることなく優位にゲームを展開した。
どうしても勝つ為に2点が必要だったナイジェリアは、後半からマルティンスを投入。すると流れはナイジェリアに傾きはじめる。 前線でプレッシャーを与えられる選手が出来た事で、ボールの受け渡しが出来、次第にマークがずれ始める。そして後半15分。その時がやってくる。
右サイドから上がったクロスをケニアDFがクリアミスして後ろに逸らし、そこにいたミケルが裏にボールを流し込むと、走りこんだマルティンスがGKがセーブするより前にゴールに蹴り込み同点に。
これでナイジェリアは怒涛の攻撃を見せた。後半19分には、ゴールポストの跳ね返りをヤクブが決めて逆転。日本人なら、「さすがナイジェリア」「アフリカの雄」というと思う。
これで終わらないのがサッカー。ケニアもナイジェリアが逆転して緩くなったマークの間隙を突く。特に逆転から余裕が出たナイジェリアはマークが甘すぎて、ケニアのミスでクリアをし続けていた。まるで天罰とでもいうべき失点がナイジェリアを待っていた。後半32分ケニア・オウィノのクロスにウェテンデがヘディングで飛び込み同点に。
同点では、チュニジアが敗れてもナイジェリアは勝ち点で上回れない。とにかく勝つしかない。だが、時間は刻々と流れていく。勢いを取り戻したケニアから得点を奪うのは至難の業と思った。私も厳しいと思いながら見ていた。
しかし、そこで終わらない大鷲がいた。そうマルティンスである。自陣からのロングボールに味方選手が競ってこぼれたボールに身体を反転させながらのボレーシュート。私は深夜に絶叫というよりも雄たけびを上げていた。まるでナイジェリアの選手達の様に。あの漆黒の鷲はケニアDFに生まれたわずかな隙を見逃さなかった。
そのナイジェリア代表の思いは遠くモザンビークのチュニジア代表を怯ませたのか、モザンビーク代表ダリオのゴールがその数分後に決まる。呆然と立ち尽くすチュニジア代表。試合を終えて両膝を付いた両チームの選手達の好対照の表情。満面の笑みのモザンビーク代表、生気を失ったチュニジア代表。その表情を見るだけでどちらがW杯に行けたのかよくわかる。きっとあの時、彼らには聞こえたのだ。ケニアの首都ナイロビで大空に羽ばたいた漆黒の大鷲の叫びを。そう、スーパーイーグルス・マルティンスの叫び声を。
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