
少年時代5
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マッキ
2011年04月26日 22:21 visibility45
じわじわと東日本地震の強さを感じています。
子供のころ、3浪して大学に入った夏、ほとんど毎日海水浴に行っていた
ところが、TVで見ただけでも、残骸だけしかありません。
1浪目で既におなかが一気に出て、3年も浪人して、ぶくぶくでした。
大学に入った夏に毎日海水浴に行って、一気に体が締まり、そのすぐ後
の秋に、生まれて初めてそして最後で、盗塁を刺せました。
念のため、22歳だったから、どう表現しても少年時代ではないです。
すみません。
(ついでに、1年秋の最終試合は、同じ歳でしてが、3年先輩の力のこもった
投球を受けて、サヨナラ押し出しで負けました。いつも左親指は、腫れ上がって
いました。去年にやっとそれを排除できました。試合後に倍ぐらいに親指が腫れて
も、すぐ回復できました。痛みが鈍くなったのか、鍛えられたのか、結果オーライ
です。)
さらに、ついでに、大学は軟式野球部で、部の中で6チームあって、春と秋に総当りの
試合と週2回の練習と春の総当りの後、選抜?有志が集まって、準硬式のインカレ
に参加していました。自分は、1年生の時に、毎日練習に参加して、試しましたが、
学年序列で、試合に出られそうもなかったので、インカレには出ていません。
6チームの中で、選んだチームはユニフォームなしで、捕手なら即試合に出られると
言われて決めました。コットンパンツにボタンダウンシャツ姿で、試合に出ました。
相手チームからは、おしゃれなキャッチャーだと野次も飛びました。
この春、インカレ前に、ショートの守備を3年ぶりで毎日練習できたのが、大きかった
です。
86年だったから、25年前です。
同じ下宿に、硬式野球部の4年生の方がいましたが、北奥羽のリーグ戦で3県を渡り
歩いて、たいへんそうだったので、3浪もしていたので断念しました。
悔いなし。(金銭、体力ともに。)
でも、今は、それ以上に、野球に集中できて、感謝です。
最後の機会だと思うと火事場の力のように、野球に集中できます。
震災の中でもと思います。
(一応自分も、中体連前に、78年の宮城県沖地震を経験しています。)
やりたいことを成し遂げている妻からは、そんだけ野球が好きなら、何ら
かしら野球の職に就いていると叱咤されています。
甲子園も思わなかったし、プロ野球選手になりたいと思いませんでした。
なれないと思っていました。
プロの試合前の練習で、ジャージーを着て、打撃練習の球を捕っている人に
憧れていましたし、今でもそうです。
少年時代と青年時代の話でした。
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- 事務局に通報しました。
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