☆夏の予選皆勤校放浪記(リメイク番)~山城~
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鶴丸 深志’
2014年10月13日 07:35 visibility732
1915年(大正4年)第1回夏の全国大会の予選に参加したのは、秋田中、横手中、秋田農、早稲田実、荏原中、日本中、早稲田中、慶応普通部、麻布中、立教中、成城中、山田中、斐太中、富田中、岐阜中、愛知一中、愛知四中、京都二中、同志社中、京都一商、京都五中、京都師範、京都美工、京都一中、立命館中、八幡商、滋賀師範、坂本中、神戸二中、関西学院中、神戸一中、御影師範、伊丹中、姫路師範、神戸商、和歌山中、市岡中、明星商、市大阪工、大阪商、八尾中、高野山中、耐久中、鳥取中、鳥取師範、米子中、倉吉中、杵築中、松江中、広島一中、広島商、修道中、福山中、明道中、関西中、高松中、徳島商、徳島師範、撫養中、香川商、大川中、丸亀中、三豊中、徳島工、徳島中、久留米商、豊国中、八女中、嘉穂中、中学修猷館、東山学院、福岡師範、伝習館中の73校であった。
その後、一度も欠かすことなく現在まで夏の予選に参加し続けているのは、旭丘、時習館、岐阜、西京、山城、同志社、市岡、関西学院、神戸、兵庫、桐蔭、鳥取西、米子東、大社、松江北の15校である。
73分の15が「伝統」を守り続けているのだ。
今回訪れたのは、京都を代表する観光スポット金閣寺がある北区に所在する、山城高校である。(お馴染の写真)
山城高校は1907年(明治40年)に京都五中として、一中(現・洛北高校)、二中(現・鳥羽高校)、三中(現・福知山高校)、四中(現・宮津高校)に次ぐ五校目の旧制中学校として開校された。
野球部は1915年(大正4年)に創部され、京都府内では(一部創部が不明確な高校を除く)、同志社、洛北、鳥羽、福知山、大谷、宮津、東山、龍谷大平安、西京、洛陽工に次ぎ、立命館と並ぶ歴史を有する。
記念すべき第1回の夏の大会予選では、初戦で坂本中を 22-13 で破り予選初勝利を挙げた。その後、滋賀師範を 11-2 で破り準決勝へ進出したが、同志社に 0-11 と大敗を喫した。
夏の予選における初の決勝進出は、1950年(昭和25年)第32回大会予選で、堀川、立命館神山、京都商、平安、伏見を破り、決勝も中央八幡を 6-0 で破り初の甲子園切符を手にした。
その後、1952年(昭和27年)第34回大会予選、1961年(昭和36年)第43回大会予選でも優勝を成し遂げている。
山城高校の予選通算成績は、121勝93敗1分、優勝3回、4強6回、8強14回である。夏の予選決勝の成績は、3戦全勝というわけだ。
甲子園初出場となった第32回夏の甲子園大会では、北の雄こと北海に 3-5 で敗退となった。
二度目の甲子園も、東関東の伝統校・成田に 0-2 で敗退となった。
三度目の甲子園は、1957年(昭和32年)第29回センバツ大会であったが、強豪・岐阜商に0-1 と惜敗であった。
三度目の夏の対戦相手はまたしても強豪・岐阜商。結果は 2-6 で敗退となった。
1961年(昭和36年)第43回夏の全国大会以降、春夏通じて甲子園出場のない山城高校。
甲子園に出場する日はいつになるのであろうか?
以上です。
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