☆黄金週間ぶらり散策スペシャル②~二軍のエース加茂川重治~






茨城県の中央部に位置し、町の東部に湖の大きさとしては全国30位に入る涸沼があり、鉄道は通っていないが、北部を北関東自動車道が通り、2つのインターチェンジ(茨城町西インターチェンジ・茨城町東インターチェンジ)がある茨城町に、茨城県立茨城東高校があります。


茨城東高校は1978年(昭和53年)に開校され、夏の選手権大会にのみ2回出場し、甲子園通算成績は0勝2敗です。


茨城東高校といえば、やはり、1983年(昭和58年)の第65回全国高等学校野球選手権大会に初出場した時の好投手加茂川重治投手を思い出します。
わたしの記憶では確か背番号7か8を付け、伸びのある直球と切れのある変化球で県大会を勝ち上がり、初の甲子園出場に貢献しました。
甲子園の初戦は、池山隆寛強打者を中心とした強打の市立尼崎と対戦し、延長10回の末、6-4で惜敗しました。
その年、わたしはイマイチイケてない高1の水泳部でしたが(笑)、母校の野球部は春の関東大会出場(開催地で4枠)を果たし、夏の大会はシード校となり、甲子園出場に微かな期待をしていた灼熱の太陽がやけに眩しい夏であった事も思い出します。


その後、加茂川投手は我が巨人軍に入団、4年目の1987年にはイースタンリーグで11勝を挙げ、最多勝のタイトルを獲得しました。
その年のファームのジュニア選手権では中日の恐竜打線を6安打に抑え、完封勝利を収め見事にMVPを獲得しました。
しかし、ファームでこれだけ素晴らしい成績を残しながらも、当時の巨人の投手陣は質・量ともに日本球界一充実していたことから、一軍の登板機会はほとんどありませんでした。
1989年、中尾孝義とのトレードで、シュートの神様西本聖とともに中日に移籍。
1990年、巨人の元二軍監督だった須藤豊氏が監督だった縁もあり大洋に移籍するが、2年後に戦力外となった。


茨城東の2度目の甲子園出場は、1997年(平成9年)第79回全国高校野球選手権大会で、この大会も初戦でソフトバンクの小椋真介投手を擁した福岡工大付に4-3とあと一歩及ばず惜敗した。






以上です。






























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