☆あの頃の夏をここに記録しておこう~赤坂中~


 


 


赤坂といえば、赤坂サカス、赤坂小町、赤坂プリンス、赤坂離宮、赤坂見附などを連想しますが、旧制・赤坂中を忘れてはいけません。


特に、ラボーラコミュニティの中で最大級の会員数を誇る町田会のメンバーの方々には、是非とも熟読して頂きたい内容です。


実はこの旧制・赤坂中とは、高校野球の強豪である日大三高だったのです。


 


日大三高は、1891年(明治24年)高等商業予備門を起源とし、1929年(昭和4年)に日本大学付属赤坂中学校が開校され、翌年の1930年(昭和5年)10月に日本大学第三中学校と改称、1976年(昭和51年)に将来の教育に対応する理想的な環境を求め、東京都町田市図師町に15万㎡の校地を得て理想的な『丘の上のキャンパス』を建設し、全面移転しました。
尚、 旧制・赤坂中学の跡地には、鹿島建設が建てられています。



日大三高の野球部は比較的新しいのでは?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、その歴史は古く1929年(昭和4年)に創部されました。
1930年(昭和5年)の第16回全国中等学校優勝野球大会東京予選(1930年7月22日~31日)に初参加し、赤坂中の名前では最初で最後となる夏の予選でした。
日大三中と改称した1930年(昭和5年)以降の夏の予選では、4強、4強、準優勝、準優勝、準優勝と5年連続で輝かしい成績を収めています。
そして1938年(昭和13)、第15回春の選抜大会と第24回夏の選手権大会に春夏連続で初の甲子園出場を果たしました。
この出場は、早慶の系列校以外の学校が初めて東京代表になるという快挙でもありました。


 


その栄誉を称え、以下に碑文を記述いたします。



日大三中・三高跡地碑


ここは昭和四年に創立された日大三中・三高の発祥の地である。
教育環境の変化にともない、昭和五十一年四月町田市に移転した。
されど、この地に想いを残しこの碑を建てる。


平成元年四月
日本大学第三学園


 


 


 



以上です。

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