☆創立130年の歴史を有する偏差値Sランクで文武両道の公立校である済々黌の3点目をある程度解説してみると


(仲本写真館提供)


本日、我らが熊本県立済々黌高校は、小技を絡めた見事な試合運びで、1990年以来実に22年ぶりとなる甲子園白星を挙げますた。元広島監督の古葉野球の原点はここにあったのか?とふと思った。


この試合で、済々黌の3点目は珍しい形で入りますた。
7回、1死一、三塁。打者のライナーが遊撃手に好捕され、飛び出した一塁走者は戻れず、ボールがゆっくり一塁に転送されアウト。
ところが併殺でチェンジとなる前、帰塁せずにスタートを切った三塁走者の中村選手が本塁を踏み、この得点が認められた。
野球規則7.10「アピールアウト」の項には、同様のケースで得点が認められるとの記述があるようです。失点を防ぐためには、三塁でアウトを取るアピールを行わなければならなかったようです。
中村選手のコメントによると、小学生の時に読んだ漫画「ドカベン」でこのルールを知っていたというではありませんか。他の済々黌ナインも相手のアピール権が消滅するよう、急いでベンチに引きあげる徹底ぶりだった。
西口主将は「ルールを含めて、全員が頭を使ってプレーしているから」と偏差値Sランクらしいコメントで胸を張ったようだ。





奇遇ですが、本日の第四試合には漫画ドカベンのモデルになった新潟明訓が登場しますた(゚Д゚)



この珍しいシーンについて、漫画ドカベンでは概ね以下のように描かれていたと思われます。


夏の神奈川大会、明訓高校と好投手・不知火守を擁する白新高校との試合は0-0のまま延長戦に突入。
10回表、明訓の攻撃。1死満塁で打者は微笑三太郎。
微笑はスクイズを試みるが、投手前に小フライとなってしまう。白新高校の投手・不知火がこれを飛びついて捕球、微笑がアウト(2死)。
三塁走者・岩鬼正美はスタートを切っており、リタッチしないまま本塁に滑り込む。
一塁走者の山田太郎も離塁していたので、不知火は迷わず一塁へ送球。一塁手が一塁に触球し、山田がアウト(3死)。ダブルプレイが成立。
第3アウトが宣告されたので、白新高校ナインは全員ベンチへと引き上げた。





この場合、第3アウトはフォースプレイによるものではない(アピールアウト)ため、第3アウト成立以前に成立した得点は有効となる。岩鬼は第3アウト成立前に本塁に到達しているので、この走塁による得点は認められる。
このケースでは、岩鬼は三塁へのリタッチを行っていなかったため、白新高校サイドとしては第3アウト成立後であっても審判員に対して岩鬼の離塁が早かったことをアピールし、岩鬼を三塁でアウト(第4アウト)にすることで、第3アウトを置き換えて彼の得点を無効にすることができた。しかし、得点が認められることに気付かなかった白新高校はこれを行わず、更に投手と内野手全員がファウルラインを越えてベンチへ引き上げてしまったことでアピール権も喪失してしまった。
結果として岩鬼の得点は認められ、明訓に1点が入った。記録は微笑の投手フライと山田の一塁アウト(併殺)の間に岩鬼が本塁に生還したという扱いで、微笑に犠打は記録されない。
試合はこの1点を守った明訓が1-0で勝利した。



 


少々話がそれましたが、熊本県立済々黌高校は1879年(明治12年)に創設された同心学舎に源を発し、1882(明治15年)に済々黌として創立、今年で創立130周年を迎えた熊本県最古の高校です。
硬式野球部は1900年(明治33年)に創部され、熊本県内では熊本商業に次ぎ、八代高校と並ぶ歴史を有しています。
夏の予選には、九州学院中に次いで、宇土中、鹿本中、熊本工、熊本商、玉名中、八代中と並び1925年(大正14年)に初参加しました。
今大会を含めて甲子園には春3回、夏7回出場し、今日の1勝で通算成績が15勝8敗となりました。
甲子園での通算勝率は、熊本工業の.530(44勝39敗)を上回り、熊本県内トップとなっております。
最高成績は、1958年(昭和33年)第30回春の選抜大会における優勝です。この優勝は、熊本県勢として春夏通じての唯一の優勝となっております。






偏差値Sランクの公立校の甲子園勝利となると、2003年(平成15年)第85回夏の大会の静岡高校以来となるのかしら?


 


 


以上です。













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