☆関東公立高校の歴史の扉~『R』のマーク・竜ヶ崎一~

茨城県では9月14日から高校野球秋季大会の地区予選がスタートしますた。
地区予選は、県北地区、水戸地区、県西地区、県南地区に分かれ、各地区から県大会に出場できる代表7校を7つのやぐらで決めます。
県大会は、地区代表28校と今夏の甲子園に出場した常総学院の計29校で行われます。県大会はシード制が採用され第4シードまで設けられますが、一回戦免除となるのは第3シードまでです。
今年の秋季関東大会は茨城県で開催されますので、県大会の上位3校が関東大会に駒を進めます。

 

 

 

本日は、都心から約50㎞程の牛久運動公園球場で、県南地区予選の竜ヶ崎一対牛久栄進の試合を観戦しますた。
県南地区は、常総学院、竜ヶ崎一、土浦一、取手一、取手二、江戸川学園取手、藤代、土浦日大、霞ヶ浦、土浦湖北と県下で最も甲子園出場校が多い地区です。
牛久運動公園球場は両翼100M、センター122Mと広い球場ですが、県大会では使用されません。
審判員は正規の審判員。打席に入るバッターの出身中学までアナウンスされます。
アナウンスは、第一試合は第二試合のどちらかの高校のマネージャー、第二試合は第一試合のどちらかの高校のマネージャーがやっていました。
地区予選の入場料は無料で、県大会からは500円です。


竜ヶ崎一は1900年(明治33年)創立、硬式野球部は1902年(明治35年)創部の伝統を誇り、昨年度の進学実績は東大1名、筑波大23名、慶応大3名、早稲田大23名などの合格者を輩出している県下有数の進学校です。
一方、牛久栄進は1987年(昭和62年)創立、硬式野球部も同年に創部された県下の県立校で最も新しい高校で、昨年度の進学実績は旧帝大に計5名、筑波大7名、慶応大1名、早稲田大2名などの合格者を輩出しています。ユニフォームは白で胸には青で『栄進』、帽子も青でした。
試合の方は、竜ヶ崎一が伝統の力を発揮し、8-0 の7回コールドで勝利を収めました。
ちなみに、第二試合は牛久対竜ヶ崎南で、二試合とも牛久市と龍ヶ崎市の対戦となりましたが、この試合は牛久が 15-0 の5回コールドで圧勝しました。


さて、ここから本題です。
竜ヶ崎一に関しては過去に何度か記述しておりますが、夏の予選には第2回大会の関東地区予選(東京・神奈川・茨城が参加)に初参加し、関東の公立高校としては希望ヶ丘高校(神奈川)と共に夏の予選の扉を初めて開きました。
さらに、第4回大会の関東地区予選(茨城・千葉・栃木が参加。東京・神奈川は京浜地区予選となる)を制して夏の全国大会に初出場を成し遂げ、関東の公立高校としては夏の全国大会の扉を初めて開く予定でしたが、第4回夏の全国大会は米騒動により急遽中止となりました。翌年の第5回夏の全国大会にも出場を果たし、改めて夏の全国大会の扉を開き直しました。その後も竜ヶ崎ーは第8回大会まで連続出場の金字塔を打ち立てました。


竜ヶ崎一の甲子園の戦いで最も印象に残っているのは、1990年(平成2年)第72回夏の全国大会に出場した時の二回戦・松山商業との対戦です。
松山商の太田捕手がキャッチャーフライを追いかけ、バックネットにぶつかり負傷しました。その時、松山商でなく竜ヶ崎一の応援席から『ファイト!太田!』の大合唱が起こりました。
試合後、松山商の太田捕手は、『自分は今まで相手に勝つことだけを考えて野球をやっていました。でも、あの声援を聞いて、それは間違いであったと気づきました。甲子園で竜ヶ崎一高の様な素晴らしいチームと試合ができて良かったです。』というコメントをしています。
それ以来、竜ヶ崎一を益々応援するようになりますた。


また、竜ヶ崎一と聞いて真っ先にイメージするのが、投げるところを象った左胸の『R』のマークです。
野球部創部当初は単に『R』のマークだったようですが、明治44年頃には現在と同じような『R』のマークになっているようです。


 

 

春1回、夏9回、計10回の甲子園出場を誇る竜ヶ崎一も、2000年(平成12年)第72回春の選抜大会を最後に甲子園から遠ざかっています。
近年も県大会のベスト8、ベスト4に進出することもあり、甲子園までもう少しのところまでは来ています。
『R』のマークが再び甲子園に復活する日が来ることを願うばかりです。

 

 

 

 

 

 

以上です。

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