☆初の全国の壁は厚かった~近江兄弟~

1905年(明治38年)2月2日、アメリカ生まれのウィリアム・メレル・ヴォーリズは、キリスト教伝道の志をもって近江八幡の地に足を踏み入れた。
滋賀県立商業学校(現・八幡商業)の英語教師として英語を教える傍ら、放課後はバイブルクラスを開設し多くの学生をキリストに導き、学生たちの人生に大きな影響を与た。
これが原因で、ヴォーリズは教育現場から追われる事になる。しかし、挫折と意気消沈の只中から不退転の決意をもって立ち上がり、建築設計事業を始め、自給自足の精神をモットーに情熱的に社会事業を展開し、琵琶湖畔にYMCA活動やキリスト教伝道、教会の建設をしながら、近江サナトリウム(現・ヴォーリズ記念病院)を開設した。
ヴォーリズはこれらの社会事業を財団法人近江兄弟社の事業として位置づけ、その事業展開のための資金調達を建築設計(現・一粒社ヴォーリズ建築事務所)や家庭常備薬メンソレータムの製造販売(現・株式会社近江兄弟社)によって成し遂げた。
ヴォーリズは生涯私有財産を持たず、すべてを社会事業のために捧げ、自ら住んでいた住居(現・ヴォーリズ記念館)さえも私物化する事はなかった。
ヴォーリズが建築設計家として日本に遺した建造物は、大丸百貨店心斎橋店、明治学院大学礼拝堂、八幡商業本館など1,600を数え、今もその多くが現存している。
その中には近江兄弟社学園がある。



日本を愛し、伝道、教育、建築、医療、福祉などの事業を通じて近江の地に「神の國」の建設を夢見たヴォーリズと、アメリカで幼児教育を学び「Do」の精神で教育に情熱をかけた一柳満喜子、志を同じくした二人が出会い、1933年(昭和8年)に近江兄弟社高校は近江勤労女学校として誕生した。

近江兄弟社高校の硬式野球部は1977年(昭和52年)に創部され、夏の予選には同年の第59回夏の選手権福滋大会に初参加した。
初の予選は日野に 3-14 で敗退、予選初勝利は1979年(昭和54年)第61回夏の選手権滋賀大会で堅田に 3-2 で勝利した。
1993年(平成5年)第75回夏の選手権滋賀大会では、八幡商、堅田を破り初のベスト8入り、そのままの勢いで長浜、守山北も破り決勝に進出。
決勝でも大津商を 3-2 で破り初の甲子園の切符を手にした。
近江兄弟社の昨年までの夏の予選通算成績は、38勝36敗、優勝1回、準優勝1回、4強2回、8強3回である。

初の甲子園では、この大会で準優勝した春日部共栄に初戦(2回戦)で 0-12 と大敗を喫した。やはり、全国の壁は厚かった。


近江兄弟といえば、メンソレータムをイメージしますが、このような歴史や背景を知った事で、再び甲子園に出場すれば違った目で見ることができるでしょう。





以上です。

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