☆夏は終わらない2020 高校野球独自大会より~三重県初の甲子園優勝校・四日市高校~

 

1955年(昭和30年)の夏は三重県にとって夢のような出来事であった。
この年の第37回全国高等学校野球選手権大会に、三岐代表として四日市高校が甲子園初出場を果たすと、快進撃を続け全国制覇を成し遂げた。

ながらく岐阜県勢に押され、三重県勢が夏の全国大会に出場したのはこれが3回目であった。

四日市は初戦の芦別に 3 - 1 で勝利、この白星が三重県勢にとっても夏の初勝利となった。

続く準々決勝では城東に 1 - 0 で勝利し、ベスト4に進出。残りのベスト4進出校の顔ぶれは、中京商、立命館、坂出商であった。

準決勝の相手は、前年夏に全国制覇している中京商に決まった。中京商には練習試合でも2連敗、まったく歯が立たなかった。無名校の四日市の快進撃はもはやこれまで、というのが大方の予想であった。しかし、高校野球はやってみなければ分からない。初回、いきなり中京商に先制を許しながらも、左のエース高橋投手がピンチを切り抜けるうちに試合の流れが変わった。4回に逆転した四日市は5回にも中京商の安井投手を攻略して大量点を奪うと、高橋投手が完全に立ち直って中京商に反撃を許さず 6 - 1 で完勝、優勝候補を撃破しての決勝進出であった。

決勝の相手は坂出商。四日市は初回、連戦の疲れが残る坂出商の岡崎投手をとらえ、3連打で先制。3回にも加点し 2 - 0 とする。6回に1点を返されるが、8回には2点を追加。結局、高橋投手が坂出商打線を散発の6安打に抑え 4 - 1 で勝利を収め、歓喜の初出場・初優勝の栄冠に輝いた。この優勝は三重県勢にとっても初の快挙であった。

 

四日市高校は、三重県最大の人口31万人を有する四日市市に所在し、1899年(明治32年)に三重県第二尋常中学校として創立された歴史と伝統を有する三重県内屈指の進学校である。
野球部も同年に創部され、三重県内では津に次ぐ歴史を有する。

甲子園には、春1回、夏2回出場し、通算成績は4勝2敗、最高成績は夏の優勝1回である。

夏の全国大会予選には、1915年(大正4年)の記念すべき第1回大会予選(東海大会・リーグ戦)に、三重県勢としては宇治山田とともに初参加した。結果は、斐太中(斐太)に 12 - 2 、山田中(宇治山田)に 3 - 15 の1勝1敗の成績で終え、決勝進出は成らなかった。
夏の予選通算成績は135勝35敗である。

 

 

早稲田カラーのユニフォームの四日市高校の甲子園復活に期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

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