☆創部120年を超える高校野球部 秋季大会予選敗者復活戦観戦記 ~佐原高校~

1968年(昭和43年)に開場した半世紀以上の歴史を持ち、所在地から「天台球場」の通称で知られる千葉県野球場。球場の外周一塁側から正面を千葉都市モノレールの軌道が取り囲み、正面をモノレールの車両が横切るという独特の景観が特徴である。

この天台球場は千葉県高校野球の聖地といわれている。
1968年のこけら落としは、第50回記念千葉大会の開会式に決まった。だが、工事は進んでおらず、突貫工事の末「開会式と準々決勝以降の使用」を条件に「開場」にこぎつけたと千葉県高野連50周年記念誌に書かれている。
迎えた1968年7月14日、66校が参加した入場行進の先頭には深紅の大優勝旗が翻った。前年の夏に千葉県勢初となる全国制覇を成し遂げた習志野の選手たちが「野球王国千葉」の到来を宣言するように、誇らしげに歩を進めた。
準々決勝は全国選手権大会2連覇を狙う習志野と、千葉県勢初の春夏連続甲子園を目指す銚子商という黄金カードになった。千葉県高野連50周年記念誌は「新設の県野球場のスタンドには観衆が溢れ、異様な雰囲気の中で試合は始まった」と熱気を伝えている。
当時は習志野、銚子商、千葉商が覇を競った3強時代であった。習志野の掛布雅之の活躍、銚子商・根本隆と成東・鈴木孝政の投げ合いなど数々の名勝負が天台球場で繰り広げられた。
1974年には篠塚和典らの銚子商が、石毛宏典らの市銚子との「銚子対決」を制して甲子園に出場し、悲願の全国制覇を成し遂げた。
翌1975年はエース小川淳司を擁する習志野が甲子園に出場し、2度目の日本一となり、千葉県勢の全国連覇という偉業を達成した。
「野球王国千葉」の絶頂期にファンも熱を帯びた。好カードでは、球場の収容人数2万7千人を超える3万5千人をたびたび記録。入れない人は、外の木に登って観戦したという。

話は変わりますが、球場の写真で分かるように千葉県には高い山がありません。千葉県には海抜500mを越す山が無い唯一の都道府県なのです。

 

 

 

千葉県高校野球の聖地で、創部120年を超える高校野球部の試合が観たくなり、秋季千葉県大会予選敗者復活戦が行われている天台球場に向け、愛車のレクサスLX600 “OFFROAD” を走らせた。
観戦したかったのは佐原高校、今回で2度目の観戦だ。ユニフォームは白地で、胸には「SAWARA」と書かれており、右袖には野球王国の証「CHIBA」のマーク、左袖には校章が付いている。

 

 

 

千葉県立佐原高校は千葉県香取市に所在し、1900年(明治33年)に千葉縣佐原中學校として創立され、2003年(平成15年)に進学指導重点校に指定された。主な卒業生は、元巨人のエースのジョーこと城之内邦雄氏、元銚子商業監督の名将・斉藤一之氏などである。

野球部は1902年(明治35年)に創部され、千葉県内では佐倉、県千葉、成田、銚子商、茂原樟陽、木更津、安房に次いで、成東、長生と並ぶ歴史を有する。
夏の全国大会予選には、1930年(昭和5年)の第16回大会予選(南関東大会千葉予選)に、千葉県内では銚子商、千葉師範、県千葉、成田、成東、茂原樟陽、大多喜、佐倉、長生、千葉敬愛に次いで、匝瑳、千葉黎明とともに初参加した。結果は、初戦で佐倉中(佐倉)に 0 - 15 で敗退となった。
夏の全国大会予選初勝利は、1938年(昭和13年)の第24回大会予選 (南関東大会千葉予選)で、成田中(成田)に 14 - 5 で勝利した。

夏の予選通算成績は85勝93敗、準優勝1回。甲子園出場は未だない。

 

 

 

試合の方は、甲子園出場春2回、夏1回を誇る強豪・中央学院を相手に、0 - 13 (5回コールド)で残念ながら敗退となった。

 

野球部創部122年、伝統ある佐原高校の活躍に期待したい。

 

 

 

 

以上です。

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