“ゴール至上主義ではない”でも、鍵は”ゴール”するという原点にある。

サッカーは今さらながらですが手を使わずに相手のゴールへボールを入れることを”競う”スポーツ。


大切なのは相手のゴールへボールを入れることを”競う”こと 

すばらしい攻撃やシュートも最終的にゴールに結びつかなければそれは何にもならない。
スーパーゴールもつたないゴールも1点は1点。どちらも同じ。 

相手のゴールへボールを入れることを”競う”スポーツの”プロセス”の1つとしてパスワークがあると思う。
相手のゴールへボールを入れることを”競う”スポーツの”プロセス”の1つとしてドリブルがあると思う。
相手のゴールへボールを入れることを”競う”スポーツの”プロセス”の1つとしてスルー、ヒールパス、トラップ、ループシュート、なども。

 大切なのはそれらの”プロセス”ではなく、あくまでゴールに結びつけること。

ゴールに結びつかなければそれらのすばらしいプレーも風化してしまう。

 決して“ゴール至上主義ではない”のですが・・・ 


パスはパスゲームで楽しめば良い
ドリブルは1対1で楽しめば良い 
試合は11人が役目をはたして相手より得点を競い合うことをで楽しめば良い

その場面その場面に一瞬のひらめきで必要なプレーを選択し実行する。

ゴールにつながるプレーでゴールを”競う”ことをお互い置きそれを楽しむこと。 

ミドル、ロング(ループなど)シュートでのゴールもドリブルで抜いて(メッシ、マラドーナの5人抜きなども)のゴールも個人プレーのように思えるかもしれないが11人メンバー(のパスの可能性やパスワーク)があってこそ生きるプレー。 これも含めすべては個人ではなくチームのゴールでいいんじゃないかと思います。


 当然パスで崩せるときはパスで崩す。

パスコースがなかったらパスに執着して理想のパスを求めるのはやめて他の手段を捜すべき最適な(必要な)方法のときがある。


そしてそれがゴールに結びつくために最適な方法だったとなる。 

大切なのはそれらの”プロセス”ではなく、ゴールに結びつくために最適な方法を選択すること。

ゴールを奪うチャンスにシュートを譲ることのほうが傲慢プレーだろう。

 相手ゴールへボールを入れることを真剣に競う→それがあって食い止める意識(技、方法)も向上する。

鍵は”ゴール”するという原点にある。ゴール真剣に競い合ってこそ相乗効果ってあると思う。試合に直につながる練習を見つけて生きたい。  


 引いて守っている相手にパスワークで崩そうなんて難しい選択でしょ。

そうであればこだわらずディフェンダーを前にしてもコースを見つけミドルをうつべきなんです。

技量はあるんだからドリブルで仕掛けるべきなんです。

そうするとディフェンダー前にでてくるじゃないですか。


ほころびがでてくるんです。

そこでパスワークが活きてくる。


日本人の良くて悪い部分、プロセスを大切にしたい気持ち、形にこだわる理想、

無駄なやさしさがある気がします。


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