代表校放浪記~岡山2校まとめて(後)

  • 仲本
    2011年03月21日 21:36 visibility819


(関西高校正門前。選抜の出場祝いの横断幕も出ているが、とにかく全国大会に出る部活がたくさんあるようだ)


岡山から吉備線で一駅。「備前三門」という小さな駅が、関西・創志学園両校の最寄り駅ということだ。ホームにちょっとした待合スペースがあるだけで、駅舎も周辺地図も何もない。やれやれ、勘で探し当てないといけないってこと?


とりあえず駅前から通りに出て、きょろきょろとあたりを見回すといきなり見つかった。向こうのほうの建物の屋根に「関西高校」としっかり書いてある。


上の画像ではなんだかよくわからないが、門をくぐったところにあるばかでかい石碑には「敢為」と彫りこまれていた。辞書によると「反対や困難などを押し切って行うことの漢語的表現」だそうで、なんとも今の高野連の状況を代弁するような…(汗)、学校創立は1887年。当時岡山には中学校が岡山一中と関西中学しかなかったという。そののち「県に移管せよ。岡山二中にしてやるぞ」という話もあったそうだが断った、というエピソードが残っている。男子校の看板を掲げる私学は岡山では今やここだけ。硬骨とでも言おうか、校外と校内を区切るのもブロック塀ではなくて石の柱。写真は撮れなかったが校内ではでっかい鷲の像がばっさーと翼を広げていたり、「人生見逃しの三振をするな」という碑が立っていたりするのだそうだ。そういや、中学生のとき、担任の先生がここ出身だった。柔道部の顧問で、すぐ生徒をしばいたり投げ飛ばしたりしていたのだが(笑)、まあ昔の話。


野球部も1895年の創部は県内最古。春の甲子園出場は今年で11回目(夏は7回)。例年有力校の一角に挙げられる。今年も中国大会を制し、バランスのとれた好チームのようだが、初戦の相手は関東準優勝の東海大相模と難敵となった。


 


さて、その関西高校と秋の岡山大会・中国大会で覇を競ったのは、意外な学校だった。吉備線をはさんで南にある創志学園。沿革をみると1884年、裁縫学校として開校。戦後、岡山女子高校、ベル学園高校、と変遷を重ねるも一貫して女子教育にかかわってきた学校だった。2010年に「学校法人創志学園」に経営が移り、男女共学に。硬式野球部を創設し、新設校を甲子園に導いた実績のある監督を据え…、と最近よく聞く話ではあるが、なんと創部1年目で甲子園出場までこぎつけ、縁もゆかりもない高校野球ヲタがわざわざ電車に乗ってやって来るというのだから大出世だ(苦笑)。OGが一番びっくりしてるんじゃなかろうか。


学校のたたずまいはなるほど、元女子校なのかなあ、という感じだった。グラウンドは広くない。これじゃなんにもできなかろう、向かいの中学校のほうが広いよ、というくらいなのだ。学園は同じ岡山に環太平洋大学という体育系の大学を持っていて、おそらくそちらに野球部の練習グラウンドがあるというからくりなのだろう。


岡山駅前で見かけた送迎バスが今は校内に戻って駐車していた。横っ腹には「夢・挑戦・達成」と書いてある。ネタにしている私が言うことでもないが、甲子園とはまったく宣伝効果絶大だわい、と思わずにはいられない。選手宣誓もこの学校が務めるのだそうだ。初日の第三試合で北の伝統校・北海高校との対戦とが決まっている。


 


気の早い話だが、夏の岡山大会では両チームはただ1つの全国大会出場権を争うことになるわけで、関西サイドにしてみれば思わぬところから伏兵が現れたわい、と思っているかもしれない。とにかく対照的な岡山の2校だった。


(住宅地の中に立つ創志学園。独特のデザインの建物が並ぶ)


 


 


(備前三門駅。関西高校の生徒はちらほら見かけた)


















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