甲子園出場校放浪記〜八幡商(後)

  • 仲本
    2013年05月12日 23:04 visibility358

☆祝・800冊突破☆
八幡だけに800冊。
八幡商の後篇で到達させる予定が1冊カウント間違えてました(-.-;)。


八幡商の正門に回ってみました。「天下の八商」「近江商人の士官学校」とも称された学校はなかなかの構えです。なんとこの建物もヴォーリズ氏の設計なのです。日本にやって来て最初の職場でありクビになったところですが、以来20数年。愛は恩讐を超えて、といったところでしょうか、仕事の依頼を心よく受けたのでした。

八幡商業野球部は第1回から夏の選手権の地方大会に参加するほどの歴史を持ちますが、全国大会の代表権はお隣りの京都勢と争わなければなりませんでした。
第1回に滋賀から参加した3校はいずれも大敗。越すに越されぬ「逢坂の関」、結局滋賀県勢が夏の選手権に初めて出場するのは第35回大会のことでした。
八幡商業も昭和20〜30年代に滋賀を制して代表決定戦に挑むこと6度。しかし名門・平安を筆頭に、立ちはだかる京都勢の前にすべて敗退しています。

そうこうしているうちに商業高校は深刻な男子生徒離れが進み、一時期は初戦敗退が続きました。
1県1代表制が定着した後、1度滋賀の決勝まで進みますが、この時の相手というのが甲子園で旋風を巻き起こすことになる甲西高校。球運はまだ八幡商に味方しません。

潮目が変わったのは1988年、前任2校で甲子園出場を果たした林監督が赴任すると、夏の大会前にはたちまち有力校として名前が上がります。
滋賀大会は活発な打線で勝ちあがり、当時創部7年目の新鋭・草津東と甲子園をかけた決勝戦に臨みました。8回に2点差を追いつき、9回は1点ずつ取り合って延長戦へ。11回に草津東は1点を勝ち越しますが、八幡商は先頭打者の三塁打を皮切りにスクイズで同点。さらに二死1、3塁から中前安打。創立102年目の伝統校が逆転サヨナラでついに初めての夏をつかんだのでした。
八幡商業はここから夏の大会に4年連続出場。しかもすべて初戦は突破しており、「高校野球は監督次第」という一面を感じざるを得ません。

最近の出場は2011年の夏。2回戦で帝京と対戦し、9回表に起死回生の満塁ホームランで逆転勝利を演じました。あまりの展開に仲本は仕事休みにもかかわらずこの試合見逃すという失態を…(笑)。


(歴史のある学校だけあって構内にはいろいろな石碑が立っています。右の碑は「尚商(商いを尊ぶ)」、同窓会の名称にもなっていて、校訓と言ってよいでしょう。左の碑は「熱闘」と刻んでいるようにも見えますが、何の記念かは不明)




















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