青森放浪記~球史に名を残す(1)・青森県営野球場
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仲本
2016年07月21日 06:53 visibility1541
知らない町に行って何が困るかといえば交通手段だ。三内丸山遺跡のエントランスホールで帰りのバス便を確認すると、青森駅までのノンストップ便が夕方の5時10分、そのあと路線バスの終バスが5時52分。現在時刻は4時30分。とりあえずもう一度遺跡のほうに戻ってざーっと写真を撮ってくる。
もし新球場ができていたならその運命も変わっていたであろう県営球場は今もそのまま立っている。見ないで帰るわけにもいくまい(←青森に来てまで何をしているのだろう)。球場のある運動公園は遺跡と隣接しているとはいえ、歩いてだいたい1キロ。5時10分のバスに間に合わせようと思えばそれほど時間がない。そして、案内地図上ではわからないアップダウンがある(汗)。
球場正面はこんな感じ。前は少し広場のようになっている。この日は使用されていないようだった。
ちなみに現在、青森の夏の高校野球大会はベスト16の対戦まで青森市営・弘前・八戸・六戸の4球場が使われている。この県営球場は使われていない。青森も広くて分散開催が必要だから、青森地区は市営球場1つにして、あとはほかの地区に会場を回してよ、という理由もあるのだろう。
球場の周りをぐるっと一回りしてみる。
これは内野スタンドの入口。土手をのぼるような格好になっている。
ライト側に運動公園全体用の駐車場があり、そこからネット裏と内野スタンドが見える。
座席はすべて長椅子のベンチタイプ。残念ながら(?)グラウンドの中は見えない。
スコアボードはごくごくオーソドックスな電光掲示タイプに見える。バックスクリーンの裏手は公園の外になり、道を挟んで民家が立っている。
今は夏の高校野球の会場となってはいないが、ここは高校野球史上最大の得点差試合である「東奥義塾-深浦」が行われた球場。当時のニュース写真を見るとスコアボードはまだパネル回転式で、各イニングの「39」「17」といった数字は手書きで対応していたようだ。余談ながら、翌日に高校野球青森大会のパンフレットを買うと大会記録が載っていて、打撃部門はほとんどこの試合でできたものだった。そりゃそうだよ。おそらく全国的に見ても今後破られることはないだろう不滅の記録だと思われる。
バスに乗るため再び三内丸山遺跡まで戻る。5時10分のバスはあきらめ、52分の終バスで青森駅に向かうことにした。
いよいよ翌日は青森大会会場へ。青森市営球場だ。
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