450冊記念・皆勤校放浪記〜和歌山・桐蔭高校(前)

  • 仲本
    2010年09月12日 12:18 visibility535



”海が見えた。海が見える。”
本家『放浪記』は尾道の海だが、仲本がこの日乗っているのは和歌山へと向かう南海電車。大阪のターミナル駅・難波から特急に乗って約40分。大阪の最南部に差し掛かると、車窓からほんのつかの間、水平線が望めるようなポイントを通過する。『皆勤校放浪記』も泉州の海を見ながら、いよいよ一段落をつけねばなるまい。今回の目的地は和歌山県立桐蔭高校。地図を見ると、南海和歌山市駅からは2.5kmあまりある。ふーん。

歩くとけっこう、とおいんだなあ。

m(_ _)m <スミマセンデシタ…

そんなわけで、片道はバスを使うことにした。最寄りとされるバス停で降りて、左方向に進めばあるはずだ。バスを降りるとそれらしき学生さんたちが自転車に乗ってやってくる。こちらは学生さんのやってくる方向に歩いていけばたどりつくというわけ。毎度のことだが土曜日の昼下がり、学生さんがいっぱいで写真どころじゃないんじゃないの?
バスの走る大通りから細い道に入り、5分ほどで正門前にたどりついた。この日はたまたま手製のゲートが据え付けられていた。なんでも体育祭と文化祭の準備期間ということだ。うーん、どことなく懐かしいのぉ。うちの高校はこんなに盛大にやってなかったがのぉ…、となにやら急に年とった気分である。門構えもそうなのだが、周囲の塀はレンガ調。これも昔からそうだったのだろう。塀に沿って歩いてみると、なにやらいわくのありそうな門柱らしきものが(なぜか塀の中に)立っていたりする。

前身の旧制・和歌山中学は明治12(1879)年に創立というから今年で131年目になる。もちろん和歌山一の伝統校だ。俗な話で申し訳ないが、今なお県内トップクラスの成績でないと入れないと聞く。数年前から「公立中高一貫校」にもなった(高校からの入学も可能)。そういえば道すがら、進学塾やらの広告が目についたような気が…、

もともとはお城のすぐそばにあったが、当時の写真を見ると手狭なうえに校庭の中に木がにょっきりと立っていた。大正2年に転任してきた校長は「若者は大いに運動すべし」という方針だったので、大正4(1915)年、広いグラウンドを求めて現在地に移転している。これがちょうど夏の甲子園大会の前身、全国中等学校優勝野球大会開幕の年だった。
和歌山中学野球部はこの年の夏、第一回予選を兼ねて行われた関西学生連合野球大会で大阪・市岡中学を2−1で降して優勝し、代表権を獲得した。第2回からは「地元・大阪から代表校を送り出せないのは誠に遺憾である」として「大阪」と「紀和」に分けて予選をするようになるのだが、ひょっとすると大阪勢には「これでは毎年和中に代表権をとられてしまう」という危機感もあったのではなかろうか。
予想通りと言おうか、和歌山中学は紀和大会では向かうところ敵なし。米騒動で中止になった第4回大会も含めて14回連続で代表権を獲得した。今も大会記録に残る通算75得点を挙げて第7回に優勝すると、翌第8回でも優勝して大会初の連覇を果たした。第9回も決勝までコマを進め、3連覇まであと一歩というところまで迫っている(決勝で甲陽学院中に2−5で敗退)。

春の選抜大会は遅れて大正13(1924)年に始まったが、こちらも第1回から第11回まで連続出場。現在のように各地区同じように秋季大会を行うなどという明確な枠組みはなかったから、「選抜大会に和中が来なければお話にならない」ということだったのだろう。とにかく中等学校野球草創期の一大金看板、エピソードを語りだすときりがないのだ、この学校は。

さて、グラウンドはどんな感じだろうか。行ってみよう。

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