予選皆勤校放浪記〜県立岐阜高校

  • 仲本
    2010年05月11日 21:59 visibility647

 

せっかく岐阜にやってきたのでもう1校、「予選皆勤校」である県立岐阜高校に立ち寄ってみた。

県立岐阜商業から歩いて行く(人はあまりいないだろうが)となると、長良川を再び渡ることになる。南にいけば川に突き当たるはずだったが、歩いていた道の突き当たりは赤十字病院だった。携帯電話のGPSで位置と方向を確認(道端で何やってんだ?)。少しそれると長良川土手へ抜ける道があった。忠節橋のたもとまで歩く。

地図によると岐阜高校は川沿いに見えてくると踏んでいたので、橋を渡ると再び南岸の土手道を歩く。陽は傾いて、はや夕陽の輝きだ。「河口まで50km」の標識が立っている。(河口かあ…、)
…いや、そんなとこまで絶対行かないから。

東西から南北方向へ、長良川は緩やかにカーブを描いて流れる。カーブの途中で左手に岐阜高校のグラウンドが見えてきた。年季の入っていそうなバックネットが立っている。

岐阜高校は1873(明治6年)創立。県内では岐阜商業、そしてなにより東海地区では愛知勢がとびぬけて強く、全国大会出場はなかなか果たせなかった。チャンスが巡ってきたのは1948(昭和23)年。この年地区割が変更になり、東海地区が「愛知」と「三岐」に分けられた。学制改革でライバル・岐阜商業が割とくったということも考えられる。なんにせよ、「岐阜一高」という名で全国大会に出場し、準決勝まで勝ち進んだ。
翌1949年夏は「岐阜高校」として出場。2回戦から登場し、帯広高校を9−1、柳井高校を延長10回の末8−4。このころから主戦・花井投手は腕を傷めていたようだ。倉敷工業戦、序盤攻め立てられたが辛くも降雨ノーゲーム。再試合は控え投手を先発させ、継投で制した(5−2)。迎えた決勝、湘南高戦は怪我をおして花井が先発。8回ついに力尽き、5−3で逆転負け。惜しくも優勝を逃した。

関西ローカルの話で恐縮だが、「おはよう朝日です」という朝の情報番組がある。初期のころ長らくスポーツコーナーを担当していたのが通称「花井のおっちゃん」だった。元・西鉄のプロ野球選手ということだったが、当時子供のわたしには古すぎてよくわからない(西鉄て)。番組でも昔のことはあまり話さない人だった。実はこの時の準優勝投手だったとずっと後になって知って驚いた(慶大に進み野手に転向。社会人を経てプロ入りした)。

OBでプロ経験者といえば、森祇晶という大物がいる。岐阜高校は1954年から55年にかけて夏春連続で甲子園にコマを進めるが、このときに出場した。当時から東海地区では評判の捕手だったようだが、甲子園ではファウルを体に当てて途中交代するなど、不運もあって初戦で涙をのんでいる。わたしなどは常勝・西武の監督時代の印象が強いが、もう少し上の世代の方ならもちろん巨人V9期の正捕手、ということになるだろう。

最近の全国大会出場は1978年の選抜大会だった。調べてみるとこの年は完全試合の前橋をはじめ、刈谷・郡山・小倉と各地の伝統校が並んでいる。全国大会の成績は通算で7勝6敗。
校舎は新築工事中のようで、運良く校名が大きく書かれていたので撮ってみた。その後、土手を下りて正門のほうに回る。こちらは住宅が立ち並ぶ細い道に面していた。正門の向かい側、小さな神社があったので旅の平安をお祈りする。

”どうか通報されませんように”(←なんか違うぞ)。

岐阜遠征はこれにて終了。大通りに出て再びバスに乗りこみ、JR岐阜駅へ向かった。
乗るつもりだった特急には、乗り遅れた。

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